注⑴孔祥星「隋唐鏡的類型与分類」『中国考古学会第一次年会論文集1979』文物出版社、1980年、孔祥星・劉一曼著、高倉洋彰・田崎博之・渡辺芳郎訳『図説中国古代銅鏡史』海鳥社、1991年、秋山進午「隋唐式鏡綜論」『泉屋博古館紀要』11、1995年、持田大輔「隋代・初唐期における銅鏡の分類と編年」『早稲田大学會津八一記念博物館研究紀要』2009年、中川あや「唐鏡の変遷─盛唐期以降を中心に─」『考古学雑誌』88-1、2004年。立状況が具体的に辿れるのである。おわりに初唐は南北朝から隋にかけて少しずつ高まってきた写実性や立体性への興味が急速に花開いた時期と考えられる。青銅鏡の文様においても、描写が細かく写実的になり、彫刻作品のような立体的な造形がみられるようになる。その背景には、隋から初唐にかけて、蠟型を用いた鋳造技術が格段に進歩したこともあろう。青銅鏡において立体的な造形に対する意識の高まりを示す代表的な例である海獣葡萄文鏡は8世紀以後も作られ続けるとはいえ、やがて並行して製作されるようになる稜花形、葵花形の鏡が主流となっていく。その背面には龍や獅子、鳳凰、鴛鴦などの禽獣、蓮華や海石榴、宝相華などの植物文様が華やかに飾られるものの、海獣葡萄文鏡のように高い密度で文様が配されることは少なく、それぞれのパーツが重なり合うことなく配置される。これら盛唐から晩唐にかけての鏡は、華やかに見えても、細部を観察すると粗い仕上げである場合が少なくない。また香取神宮鏡のような精緻で躍動的な表現や、久保惣鏡のような極度の立体性は姿を消し、文様の一部をトンネル状に透かすなどのいくつかの工夫がみられるにとどまる〔図18〕。鏡を用いる階層が増加し、その需要に応えるため、製作体制や技法にも変化があったことが見て取れる。本稿では限られた資料からではあるが、唐鏡における造形意識の変化を探った。近年中国で増えつつある出土資料や同型鏡の詳細な分析により、さらに具体的にその変化を辿っていけるとの感触を得た。機会をあらためて検討したい。⑵『陝西省出土銅鏡』文物出版社、1959年。⑶陝西歴史博物館編『千秋金鍳 陝西歴史博物館蔵銅鏡集成』陝西出版集団三秦出版社、2012年。⑷王士倫編著・王牧修訂『浙江出土銅鏡(修訂本)』文物出版社、2006年。⑸中野徹「中国青銅鏡に観る製作の痕跡─製作と形式─」『和泉市久保惣記念美術館久保惣記念文化財団東洋美術研究所紀要』6、1994年、中野徹『中国金工史』中央公論美術出版、2015年。⑹持田大輔・三船温尚「海獣葡萄鏡の編年の再整理と文様鋳造技法研究」『FUSUS』8、2016年。⑺五島美術館学芸部編『前漢から元時代の紀年鏡』五島美術館、1992年、岡内三眞監修・持田大輔編『服部コレクション 鏡の世界』早稲田大学會津八一記念博物館、2008年。― 329 ―
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