鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
348/550

ある。一方、東京保管分の能面のうち、面裏に朱書の番号を有しない作品の多くは、熊本の面箪笥の記録から、近年に熊本から東京に移された可能性が指摘できる。例えば、面箪笥E・Hの引出にある貼紙には、「42小面」「43小面」「55曲見」「60童子」「61猩々」「58喝食」といった作品について、「修理ノ上東京」に移された旨が記されており、それに該当しうる能面も東京に保管されている。また、そのほかにも〔表1〕の「面箪笥」の欄に記すように、東京に保管された能面と一致すると思われる記録が、熊本の面箪笥中に確認できる。このように、永青文庫所蔵の能面は、近代以降に熊本から東京へという作品の移動が行われていたことが指摘できる。朱漆の番号が付された時期は、明治~大正時代に制作された能面・増髪〔表1-14〕や般若〔表1-16〕などに同番号が付されていることから、大正期から昭和前期までにかけてのことと考えられる。さらに、能面番号や面箪笥の情報を整理すると、その当時東京には少なくとも70点以上の能面と30点以上の狂言面が保管され、東京へ移される前の能面の点数を含めると、熊本にも70点程度の能・狂言面が保管されていたことが推測できるのである。それでは、これらの能面群は、江戸時代の細川家における能面コレクションの姿をどの程度反映しているのだろうか。3 天保期の能道具帳にみる現存作品の位置づけ細川家伝来の能道具帳としては、熊本大学附属図書館寄託の永青文庫所蔵史料のなかに、『御前通 御能御装束并小御道具帳』(以下『御前通御道具帳』)と『天保十一年 御能衣裳并小道具帳 子二月 御側御能方』(以下『天保十一年御道具帳』)の2冊が残されている〔図6〕。そこには、能装束をはじめ、能面や能小道具、楽器や引き廻しの幕にいたる様々な能道具の名称が列記されており、江戸時代後期の能道具の姿とその管理の一端を窺うことができる。『御前通御道具帳』には、能装束、小道具、能面、狂言面の順に、名称や数量が書き上げられる。装束は「御唐織之部」「御長絹之部」といった種別に列記され、その中に「天保七年四月出来」といった記載が認められることから、天保期の記録であることが確認できる。能面は「御面之部」に74点、「同部 丸龍御箪笥」に11点、「同部開御箪笥」に10点、狂言面は「狂言 春慶御箪笥」に19点、合わせて114点の名称と銘文が記されている。なお、本道具帳の後ろには、「御次通御能御装束并御小道具帳」、「御手入分御能御装束并御小道具帳」、「現不見分御能御装束小御道具」、「損御― 337 ―

元のページ  ../index.html#348

このブックを見る