鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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また、『御前通御道具帳』に記載される「丸龍御箪笥」は、熊本に保管される面箪笥のひとつ、龍の丸文蒔絵面箪笥〔図3〕と一致することが確認できるほか(注7)、同じく同道具帳に記載の「開御箪笥」と「春慶御箪笥」の二つも、熊本に残る面箪笥のいずれかに該当する可能性が高い。なお、『御前通御道具帳』の中で「丸龍御箪笥」の項に記される「小飛出 赤鶴作」は、熊本県立美術館寄託の能面・小飛出〔表2-33〕に相当すると考えられ、伝来の能面とそれを保管する江戸時代の面箪笥が共に揃う例として特記したい。このように、現在の能面のまとまりは、天保期の道具帳にみられる能面をある程度引き継いではいるものの、それ以外の作品もかなり加わっていることが確認できる。以上の結果をふまえ、現存する能面群の情報を整理する。まず、現在東京に保管される能面のうち、面裏に朱書の番号を有する作品は、おそらく大正時代から昭和前期頃には東京で管理されていた作品と考えられ、番号を有しない作品の一部は、それ以降に熊本から東京へ移された可能性がある。また、熊本に保管される作品は、附属の面箪笥とともに、熊本市にある北岡邸の御蔵に保管されていたものとみてよいだろう。一方、天保期の道具帳の記録と照合した結果、東京保管分、熊本保管分ともに、道具帳の記録と一致する作品と、記録にない作品とが混在する形で伝わっていることが確認できた。おわりに細川家の能面が今日まで伝えられていく過程で失われた作品を視野にいれた時、現存するコレクションのまとまりは、どのような意味を持つのであろうか。細川家に残された2冊の能道具帳は、「御前通」及び「御側御能方」という用語からみて、藩主周辺で用いられた御道具類を取り扱ったものである可能性が高い。一方、江戸時代における大名道具は、一般に藩主家に属する「御道具」と藩で用いる「道具」に分けて管理されていたとされ(注8)、熊本藩における演能に用いるための能道具は、藩主家所用の道具とは別に管理されていた可能性もある。また、仮に天保期の能道具帳が江戸藩邸の道具を扱ったものであったとするならば、熊本に保管されていた能道具は本帳に記されていない可能性もある。現存する細川家伝来の能面の一部は、天保期における藩主周辺の御道具を継承するものであり、道具帳に当てはまらない能面は、別管理の作品であった可能性は考えられないだろうか。これらの考察を進めるためには、近代以降の細川家における能面の― 339 ―

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