㉜ パブロ・ピカソ1912-1916─エヴァ・グエルの肖像を中心に─研 究 者:ポーラ美術館 学芸員 東海林 洋パブロ・ピカソ(1881-1973)が1913年以降に制作した絵画作品のなかには、コラージュの導入によってもたらされた多様な色彩の表現のほか、豊かな表情や個性が表現された人物像が現れている。これらは静物を主題とした作品を中心にしていた1912年以前には見られなかった特徴であり、総合的キュビスムの探究のなかで獲得した手法を用いながら、人物像に取り組んだ成果である。特にこの期間に制作された恋人エヴァ・グエル(本名マルセル・アンベール)を描いた肖像作品において、ピカソはさらに踏み込んだ実験的な方法を取り入れていることがわかる。本稿では、これらエヴァを扱った作品とその制作過程を取り上げることで、この時期のピカソ作品において、キュビスムの初期段階で画面から取り除かれた寓意性や物語性が、人物像を中心に回帰している点を指摘したい。問題の所在ポーランド出身の画家ルイ・マルクーシスの恋人であったエヴァ・グエル(1885-1915)〔図1〕とピカソが出会ったのは1911年の11月であった。それまで同居していたフェルナンド・オリヴィエとは既に距離をとっており、翌年から4年近くエヴァはピカソの伴侶となる。彼女については、この名前の他にはパリ近郊のヴァンセンヌで洗礼を受けたこと以外詳しいことはわかっていない。しかし、彼女に「エヴァ」というあだ名を与えたのがピカソであることは、それがフランス語の「イヴ」(Eve)でなく、スペイン語の「エヴァ」(Eva)であることから推測できる。1911年にピカソは「私のかわいいひと(Ma Jolie)」とエヴァへのメッセージを書き込み、翌年には作品の一部に「私はエヴァを愛す(Jʼaime Eva)」と書き込むなど、出会ってから間もないうちに両者は強く惹かれあったことがわかる。ピカソはかつてフェルナンドの肖像も多く手がけていたものの、多くの分析的キュビスム作品と同様に、それらは無個性な人物像として表わされていた。かつての恋人とは対照的に、1913年以降にはエヴァをモデルにした作品は自由で遊び心に溢れている。これは色彩を取り入れた明るい総合的キュビスムの特徴でもあるが、新しい恋人との愛情に満ちた幸福な関係も影響しているだろう。二人が出会った1911年から12年は、ピカソのキュビスムが、コラージュの導入によって分析的キュビスムから総合的キュビスムへと移行する時期にあたる。同時に、― 344 ―
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