鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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1913年のエヴァ・グエルるキュビスムは、後に形式主義的に物語性を排した抽象絵画へと結び付けられて語られるように、絵画の意味内容から距離を置いた運動であると考えることはできるだろう。しかし、総合的キュビスムに至ってからの、反動的とも思える積極的な意味内容の表現は、単に分析的キュビスムによる作品が対象の形を認識できなかったという反省によるもののみであったのだろうか。ここでは恋人であるエヴァをモデルとした3点の作品を中心に、その生成過程と表現の方法を比較しながら、これを絵画の表現方法を拡大するための新しい表現手法として考えてみたい。エヴァとの出会いから1年を過ぎた1913年の春から夏にかけて、滞在していたピレネー山麓の町セレで、ピカソは前年ソルグで試みた人物像の制作に本格的に取り組んでいる〔図4〕。32歳になる彼は、エヴァとの結婚を考え、バルセロナに住む家族に彼女を紹介するべく、また病がちとなった父を気遣いながら、度々スペイン国境ちかくの小村セレに滞在して制作していた。1913年の5月に父ホセ・ルイス・ブラスコが亡くなったことで、彼女との結婚の計画は流れてしまうが、このとき二人の関係は最も親密な時期を迎えていたと言えるだろう。1912年以降に手がけられた総合的キュビスムは、形の分析による分析的キュビスムとは異なる方向に歩みを進め、単純な形の組み合わせや配置によって様々なモティーフを表現している。セレ滞在からパリに戻って制作された人物像は、コラージュや立体作品《ギター》(1912年、ニューヨーク近代美術館)などを基にして展開し、形の組み合わせだけでなく、ヒゲや帽子、髪型などを配置することで、モデルとなる人物の個性や特徴を、形の模倣や分析によってではなく、諸要素の関係性によって意味を生じさせる記号のように指し示している。ここでは、同じく恋人を描きながらも、制作のプロセスを異にする2点の作品《葡萄の帽子の女》(1913年、ポーラ美術館)〔図5〕と《肘掛け椅子に座るシュミーズの女》(1913-1914年、個人蔵(メトロポリタン美術館に寄贈予定))〔図9〕を取り上げ、この時期のピカソ作品に導入された表現を見ていきたい。《葡萄の帽子の女》は、暗い背景のなかに、様々な素材を模した平面を組み合わせながら立体感を構築し、その上に単純な線描を組み合わせることで人物の眼や表情を描き出している。絵画の表面は様々な筆触を使い分け、紙や木など異素材が組み合わされたコラージュを思わせる。唇の位置は上下逆さまに配置され、つぶらな瞳とともに人物の愛らしさを表している。画面は単純化した幾何学的な形の集合ではあるもの― 346 ―

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