鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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史料としての価値を明らかにし、近年のミニアチュール再評価に寄与することを試みる。第1章 主題の問題:肖像画および歴史画の制作についてミニアチュールの第一の特徴は、小型の支持体を用い、多くの場合そこに肖像画を描く点にあり、作品にはとりわけ所有者の恋人や近親者の姿が描かれることが多かった。これはミニアチュールに特有の小型の画面が、親しい人物が描かれた肖像画作品の個人的な所有・携帯と、その肖像を近距離から見つめる私的性格の強い鑑賞の実現に対する欲求を満たし得る要素であったためである。そのような鑑賞の様子を伝える、18世紀フランスの画家カロジス=ルイ・カルモンテルが水彩で描いた肖像画では、横向きの姿で捉えられた貴族の女性が、椅子に腰かけて机に肘をつき、手の中のミニアチュールを独り静かに眺める姿が描かれている〔図2〕。さらにミニアチュールはその小型のサイズゆえに、腕輪や指輪といった周囲の人間の目に付きやすいアクセサリーに取り付けることも可能で、その際にはミニアチュールに描かれた人物と自分の関係を誇示する社会的効果が期待できた。そのような目的で用いられた作品を、フランスで活躍したジュネーヴ出身のミニアチュール画家ジャン=エティエンヌ・リオタールは、ブルジョワ階級の夫婦の肖像画に描いている。そこでは着飾った男女〔図3、4〕が、腕輪と指輪に互いの肖像画を付けて〔図5〕誇らしげに示し合う様子が確認される。さらに、『百科全書』の記述によれば、ミニアチュール画家は「大きなものを小さなものに縮小し」て表現するため、その作品は「表される対象の小ささと、その並外れた仕上げによって、[描画対象を]模倣しつつも自然[の姿]を潤色し、[実物より]美しく描くように見え」たという(注3)。この点でミニアチュールは、より美しく描かれることを望む近世ヨーロッパの肖像画のモデルたちが抱いた欲望(注4)をも、小型絵画という形態的特徴を有効に生かすことにより的確に充足することが可能だったといえる。このようにミニアチュール画家たちは、鑑賞者やモデルの多様な欲求に応えることができた、小型画面の肖像画を数多く描いた。だが彼らは物語を主題とする歴史画の分野で名人を輩出しなかったために、不完全な芸術家であるとの評価を下されている。『百科全書』所収の「ミニアチュール」の項目では、ジュネーヴのジャック=アントワーヌ・アルロー、ヴェネツィア出身のロザルバ・カリエラ、フランス王立美術アカデミーのジャン=バティスト・マッセといった、18世紀に活躍したミニアチュールの巨匠たちが紹介されている。そして彼らはより大型の画面に肖像を描いた画家た― 356 ―

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