ち、すなわち王侯たちの似姿を数多く描いたイアサント・リゴーや、高い人気を博したパステル肖像画家のモーリス=カンタン・ド・ラトゥールに匹敵する実力をミニアチュール肖像画の分野で発揮した点を高く評価されている。だが同時に、ミニアチュール画家の間には「絵画に関する最も麗しい部分、すなわち歴史画を描く巨匠たち」が依然として現れないことが遺憾とされ、17世紀フランドルの巨匠ルーベンスや18世紀のフランス国王筆頭画家カルル・ヴァンローのような優秀な歴史画家の誕生が待望されている(注5)。実際のところ、18世紀のミニアチュール画家は歴史画も描いていた。たとえばフランスの画家ピエール=アントワーヌ・ボードワンは、《アムールに傷つけられるディアナ》のような神話に取材する主題を小型の象牙の板の上に水彩で表したミニアチュール歴史画を描いている〔図6〕。だがそのような作例はごく僅かで、ミニアチュール作品のほとんどは、肖像を主題として選んだものである。このような状況が出現した理由は、ミニアチュール画家は小型画面での表現に高い適合性を示す、私的な所有と鑑賞に供される肖像画の制作に精力を注ぎ、歴史画の裸体表現に必要な解剖学や人体のプロポーションに関する知識、あるいは空間や群像の表現に不可欠となる透視図法の習得、画面内での明部・暗部の配分方法の研究に対して関心が薄かったことに求められる。そしてその結果として、彼らは物語画を不得手とするようになっていたと考えられる。たとえばミニアチュール画家リオタールはパリであるコンクールに応募するため歴史画を提出したが、描かれた人物の数があまりに少なかったために、その作品は審査員に低く評価されたという(注6)。確かに、リオタールの唯一知られている大型油彩歴史画は、限られた数の人物像で構成されている。サウル王のもとから逃亡したダビデがノブの祭司アヒメレクを訪う場面を描いた作品〔図7〕では、縦92センチメートル、横104センチメートルという大画面に、広い室内空間が舞台として設定されている。だが画面内には空白部分を大きく残しながら4人の人物像が描かれるにとどまる。このような画面からは、ミニアチュール画家リオタールが有していた構図と群像表現に関する能力の不足が感じられる。このように、専ら小型絵画を描いた画家たちは複数の人物像を伴う大型歴史画の表現を得意としない場合が多く、それが優秀なミニアチュール歴史画家が不在となる原因となったと考えられる。だが『百科全書』の上述の項目では、このようなミニアチュールとその作者に関する特殊な事情はいささかも留意されず、あくまでも優秀なミニアチュール歴史画家の誕生が待望されている。この批評には解剖学や透視図法の知識、物語を的確に表現するための教養、そして群像を伴う大画面を構成する力を有し、知的能力に長けた画家が― 357 ―
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