鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
371/550

の低さは、1769年の『文芸年鑑』所収の、「ミニアチュールが上級の芸術家によって制作されることはまれである」とする批評(注15)や、1788年に出版されたピエール=ノエル・ヴィオレの『ミニアチュール描画術要諦』の中の、ミニアチュール制作者の間に「真の画家を見つけることほど難しいことはない」とするテキストに顕著に表れている(注16)。しかし、画壇の評価とは裏腹に、18世紀のフランスでミニアチュール画家たちは富裕な市民と貴族から多くの作品の制作を受注し、少なからぬ経済的成功を収めていた。そもそもミニアチュール作品の注文主や享受者たちは、描かれた主題のジャンルや採用された技法以外の部分を評価していた。たとえばリオタールはミニアチュール画家としてフランスで大いに知られていたが、1750年7月13日付『文芸通信』によると、パリでこの画家が描いた肖像画が称賛されたのは、その肖似性の高さゆえだった(注17)。加えてフランス王立美術アカデミーの重鎮シャルル=ニコラ・コシャンは、同僚のマッセが制作したミニアチュール作品には大きな実入りが期待できたと述べているが、またさらに、この画家のミニアチュール作品は宝石のように秘蔵され、むしろ人の目に触れなくなったことでその稀少性によって人々の興味を掻き立てたと伝えている(注18)。そしてミニアチュール作品の経済的価値の評価に関しては、フランス宮廷の会計史料によると、リオタールは1752年に小箱に取り付けるための王族たちのミニアチュール肖像画を描いて1点につき300リーヴルを受け取り、リオタールの原作に基づく肖像をコピーした画家ルブランも、小箱や腕輪に取り付けるミニアチュール作品3点の見返りに900リーヴルを報酬として支払われた(注19)。当時のフランスでは一般の肉体労働者・ジャーナリスト・召使いの年収は100リーヴルから300リーヴルの間だったと見積もられている(注20)。このことを考えるなら、作品1点につき300リーヴルという報酬は、決して少ない額ではない。この支払い記録は、宮廷ではミニアチュール画家の仕事が高く評価されていたことをよく物語っている。18世紀のフランス画壇でミニアチュールの作品と画家に対する批評が手厳しかったことは確かである。だが同時代人たちは日用品や装飾品に取り付けられる肖像画を必要とし、ミニアチュールには需要と高い経済的価値が認められていた。すなわち注文主や作品利用者のこのような評価が18世紀のフランスにおいてミニアチュール制作を実入りと重要な注文主の獲得が見込める仕事とし、批評家に低い評価を寄せられつつもミニアチュール作品が数多く描かれるという結果を生じたと考えられる。― 360 ―

元のページ  ../index.html#371

このブックを見る