督の指揮下、美術院の職人によって修理されたことがわかる。前述の6月2日の「ケルン日記」にも鼉太鼓の記述が登場することから、おそらく田中文弥はこの修理に際して模造を製作することができたと考えられる。ペトラ・ロッシュ氏によれば、龍をあしらった鼉太鼓がベルリン王立民族学博物館日本室の資料写真にみられるが、同館東アジア部目録によれば第2次世界大戦で戦失したという。「vol. 3」にはミュラーがプロイセン王国博物館群総長に宛てた1906年8月19日付の書簡がある。そこにはアジア美術を扱う博物館としての理念と模造に求めた理由がうかがえる。「当館の宗教的な、そして美術史的なコレクションを完成させるため、ガンダーラ起源の東漸する文化を示すべく、フィッシャーは朝鮮半島様式の影響が色濃い仏像のレプリカをオリジナルに忠実かつ精確に仏師に作らせる指導権を与えられた。京都博物館に当時展示されていた全ての傑作のレプリカを作ることはできなかったが、彼の働きによって質量ともに充実した仏教美術のレプリカを得ることができた。これらは、現在、日本美術常設展示の一室に陳列されている。ここには桜井香雲の法隆寺金堂壁画模写があり、他の寺社にある什宝のレプリカとあわせて、来館者は他の欧州各国では見られない日本美術の粋をみることができる。『國華』やタジマの発行している『Selected Relics』などの書籍図版では味わえない現実の大きさ、実在感をここでは得られるのだ。私が1901年に奈良博物館で見た二つの鼉太鼓が好例であり、フィッシャーにぜひ模造を購入するように頼んだ所以である。これらは10世紀のもので、中国と朝鮮の音楽史においても重要な作例である」として、当時の欧州における先駆的な試みとして日本美術のレプリカの収集と展示の意義を強調している。興味深いのは『國華』をひとつの指標としていることであり、天心の日本美術および東洋美術の構想はドイツにも知られていたことが分かる。同書簡には、厳島神社参詣曼荼羅と京都の古社寺の参詣曼荼羅のレプリカを所蔵していることがみえ、それらは「美術史上はさほどではないが、東アジアの民族学上は貴重な資料であり、他の欧州博物館には無い資料である」と評価している。その他、静岡・浅間神社所蔵の山田長政奉納『戦艦図絵馬』や京都・清水寺所蔵『清水寺渡海船額(絵馬)』のレプリカについても「東アジアの服飾史において貴重な資料になる」としている。フィッシャーが送ったオリジナルと模造が並んでいる写真については、「模造がどれほど精確で、日本の職人の腕がいかに良くて信頼がおけるか」と、称えている。他に、「恵信僧都像は前述のタジマの書籍に小さな図版でしか確認できないが、レプリカがあることでその素晴らしさが一目瞭然である」と述べている。「美術史家が最適な資料を見つけられるのは、日本国外では当館コレクションにおいてのみである」という強い自負も― 370 ―
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