⑻ 安藤勉「訳者あとがき(二)」『明治日本印象記』講談社、2001年、pp. 451-455 フリーダ・フィッシャー著、安藤勉訳『明治日本美術紀行』講談社、2002年⑼ Museum für Völkerkunde-Acta betreffend die Erwerbung ethnologischer Gegenstände durch Professor ⑽ ケルン東洋美術館学芸員ペトラ・ロッシュ氏から未刊行(翻刻済)の日記の一部を提供いただいた。(1905年4月18日~9月19日まで。但し7~8月分は未受領。)翻刻の英語翻訳は、前述のナタリー・アルフェアス氏が行った。 ⑾ 白井克也「フィッシャー夫妻と東京帝室博物館─日独交換事業に関する研究1─」『MUSEUM』⑿ 田中文弥に関する資料は、安藤勉氏にご教示いただいた。 注⑻安藤2002の訳注176、179。 pp. 199-202 「(仮称)仏師田中文弥回顧録」田中(柴田)家所蔵文書(大正3年以降の編纂か) 安藤勉「A・フィッシャー夫妻を通して秋篠寺『伎芸天立像』を考える(1)─日本美術院など公文書にない『廃仏毀釈時の修補』─」2010年度日本独学史学会研究発表会レジュメ、2010年12月11日 同「A・フィッシャー夫妻を通して秋篠寺『伎芸天立像』を考える(2)─ベルリン民族学博物館所蔵『伎芸天立像』・『百済観音像』などの模刻像─」2011年度日本独学史学会夏期研究発表会レジュメ、2011年7月23日⒀ vol. 5の1908年6月21日付、フィッシャーからミュラーに宛てた書簡に「昨日、この手紙に同封した無著像の写真を受け取った。この模造も、完了したとわかる。」と記されている〔図5-1〕⒁ 注⑾、RÖSCH, Petra 2014に「ケルン東洋美術館には、伎芸天の衣の断片(図版16)が残されている」とある。注⑻安藤2002の訳注179 p. 200の記述と併せると、オリジナルの衣の断片の可能性がある。なお vol. 5の1908年6月2日付、フィッシャーからミュラーに宛てた書簡に「伎芸天と羅漢像が3月末に輸送されたと京都博物館から連絡があったが、無事にベルリンに到着しているか」と訊いている。⒂ vol. 5の1907年10月25日付、ミュラーに宛てた書簡に「婆藪仙人立像模造と田中父子の写った写真を同封する。さらに、すでに模造を彼らに依頼していると前に伝えた、三十三間堂の彫像『風Fischer in Ost-Asien Vol. 3. Vom 6. April 1906 bis 30. November 1906. Pars 1 B. 35aおよび Königliches Museum für Völkerkunde-Acta betreffend die Erwerbung ethnologischer Gegenstände durch Professor Fischer in Ost-Asien Vol. 5. Vom 1. Juli 1907 bis 30. Juni 1908. Pars 1 B. 35a(未刊行。仮邦題は『民族学博物館編(Vol. 5は「王立」):フィッシャー教授による東アジアの民族学的な物品購入の記録ファイル』)なお、Vol. 4(1906年12月~1907年6月の収集記録文書)は、今後改めて調査を予定している。上記Vol. 3、5の翻刻および英語翻訳は元ケルン東洋美術館任期付研究員ナタリー・アルフェアス氏が行った。延年舞図北野天満宮本模写1面、北野天神縁起北野天満宮本模写2面、大元帥明王像醍醐寺本模写1幅 寺崎廣業筆、吉祥天像浄瑠璃寺像模写4幅 横山大観筆、文殊五尊像醍醐寺本模写1幅、阿弥陀三尊像知恩院本模写1幅 横山大観筆。602号、東京国立博物館、2006年、pp. 5-27JENSEN, Yumi “Kopieren in der Kunstauffassung in Japan um 1900: fünf buddhistische Holzskulpturen im Museum für Ostasiatische Kunst Köln.” Unveröffentlichte Magisterarbeit, Universität Bonn, 2013, pp. 10-17RÖSCH, Petra “Kopien japanischer Skulpturen in Berlin und Köln” Ostasiatische Zeitschrift, Neue Serie; Nr. 28 – Herbst, 2014, pp. 18-30― 374 ―
元のページ ../index.html#385