⑵ パンタナッサ修道院については以下を参照。Μαίρη Ασπρά-Βαρδαβάκη, Μελίτα Εμμανουήλ, Η Μονή της Παντάνασσας στον Μυστρά: Οι Τοιχογραφίες του 15ου αιώνα, Αθήναι 2005; Suzy Dufrenne, Les programmes iconographiques des églises byzantines de Mistra, Bibliothèque des Cahiers archéologiques IV, Paris 1970.注⑴ 調査を開始した2015年8月時点ではミストラのみ撮影許可が下りていなかったが、遺跡を管轄する考古局より「許可が下りたのち考古局スタッフが代わりに撮影する」との提案をうけて調査を実施した。撮影許可は2016年2月に届いたが、本稿執筆時点で未だ考古局からの写真を受け取っていないため、ミストラの聖堂内部については文献から図版を引用、もしくは筆者のスケッチで代用する。⑶ Ασπρά-Βαρδαβάκη, Εμμανουήλ, op.cit., p. 63. ポスト・ビザンティンの作例ではあるが、至聖所周辺には物語場面形式の聖母の予型図像が複数描かれており、「ダヴィデによる契約の箱の移動(列王記第二6章)」などがある。⑷ 預言者ザカリア(新共同訳聖書ではゼカリヤ)は、ビザンティン聖堂装飾では二通りの図像表現がある。一つは古代風の衣に巻き髪の、鬚のない若い容貌をとり、もう一つは祭司の衣装に長い白髪白鬚の老人の姿をとる。本稿では区別のため「若いザカリア」「老年のザカリア」とする。二通りともザカリアを描く聖堂には、プリズレンのボゴロディツァ・リェヴィシュカ聖堂、コソヴォのグラチャニツァ修道院とペチ総主教座ナルテクス、ミストラのパナギア・ペリブレプトス聖堂が挙げられる。老年のザカリアは、洗礼者ヨハネの父ザカリアのイメージと重ねられる。Δουλα Μουρικι, “Αἱ Βιβλικαὶ Προεικονίσεις τῆς Παναγίας εἰς τὸν Τροῦλλον τῆς Περιβλέπτου τοῦ Μυστρᾶ,” Ἀρχαιολογικόν Δελτίον 25 (1970), p. 232; 益田朋幸「聖母よ、御腕を支えん:オフリド、パナギア・ペリブレプトス聖堂アプシスの旧約人物像について」『WASEDA RILAS JOURNAL』Vol. 2、2014年、p. 20。ルカ福音書1章において洗礼者ヨハネの父は、年老いたユダヤの祭司であり、至聖所で香を献げる役を担っている。老年の預言者ザカ座の聖母子を南北両端から囲む構成となっている。しかしながら階上廊東端の預言者像は、壁体に遮られるためナオスからは見ることができない。但し、例外的にアプシスの聖母子と階上廊の旧約預言者の一部とを同時に見ることのできる位置がある。それはイコノスタシスの内部、至聖所である。祭壇の脇に立って視線を上げると、南北それぞれの壁面にある「聖霊降臨」の場面中央にくりぬかれた小窓から、ザカリアとメルキセデクのメダイヨンがぴったりとおさまるようにして顔を覗かせているのである〔図12〕。至聖所に立ち入り、これを目にできるのは本来、典礼を捧げる司祭たちである。祭服を纏い、至聖所の中で奉仕する者が、同じ姿をした旧約預言者たちとともに、アプシスの聖母子に向かって典礼を捧げる。パンタナッサ修道院階上廊東端の旧約預言者像は、祭司と典礼のイメージに絞った人物選択によって、まるで現実の司祭が今ここで、聖母子を囲んで讃える旧約祭司たちの一部に組み込まれていくかのような空間を生み出しているのである。― 384 ―
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