⑸ Ασπρά-Βαρδαβάκη, Εμμανουήλ, op.cit., p. 173.⑹ ⑺ ⑻ 益田朋幸『ビザンティン聖堂装飾プログラム論』中央公論、2014、pp. 486-7の表も参照。⑼ 益田朋幸、前掲論文、p. 20。⑽ プロタトン聖堂については次の文献を参照した。Νικόλαος Τουτός, Γεώργιος Φουστέρης, Ευρετήριον της μνημειακής ζωγραφικής του Αγίου Όρους: 10ος−17ος αιώνας, Αθήναι 2010; Gabriel Millet, Monuments de lʼAthos: relevés avec le concours de lʼArmée française dʼOrient et de lʼÉcole française dʼAthènes, Paris 1927, pp. 8−9, 32; Ευθύμιος Τσιγαρίδας et al., Μανουήλ Πανσέληνος: Εκ του Ιερού Ναού του Πρωτάτου, 2nd ed. Θεσσαλονίκη 2008, pp. 107, 176−81, 244−7.⒃ Ασπρά-Βαρδαβάκη, Εμμανουήλ, op.cit., pp. 55-6.⒄ モノグラフでは、モーセとアロンが「モーセの幕屋」に含まれる聖母の予型モティーフを手にしており、幕屋は聖堂で言うところの至聖所に該当することから、至聖所アプシスの聖母子を両脇から囲む構成は相応しいものだと述べる。 Ibid., p.226.⑾ Todić, op.cit., p. 322.⑿ ⒀ Paul A. Underwood, The Kariye Djami, vol. 1-3, New York 1966, pp. 49−59.⒁ パンタナッサ、スヴェティ・ニキタ、ペチ総主教座のオディギトリア聖堂など。⒂ 物語場面において「モーセと燃える柴」はよく描かれる主題だが、モーセ単身像の場合は祭司の姿でスタムノスや十戒の石版などを抱えているのが通常である。祭司姿で燃える柴を携える例は、プリズレンのボゴロディツァ・リェヴィシュカ聖堂とミストラのパナギア・ペリブレプトス聖堂のみ見られる。Ibid., p. 176.Ibid., p. 173, 176.Ibid., pp. 331-2.リアの図像が、祭司の衣をつけ、持物に燭台よりむしろ香炉を携える作例が多いことは、洗礼者の父のイメージによるものと考えられる。ただし、プリズレンのボゴロディツァ・リェヴィシュカ聖堂のように、若いザカリアが香炉を持って聖母神殿奉献の典礼文を持つ一方で老年のザカリアがゼカリヤ書2章の七枝燭台を持つなど、イメージが固定しているわけではないようである。Branislav Todić, Serbian Medieval Painting: the Age of King Milutin, Belgrade 1999, p. 314.― 385 ―
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