鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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・1864年のサロン景にはモロー父子の趣味の影響が窺える。翌年出版した『1861年の諸展覧会とサロンについての手紙』からは、カンタルーブの趣味をより詳しく読み取ることができる。まず気が付くのは、アカデミスムの大家オーギュスト=ドミニク・アングルへの著しい傾倒である。本文中で何度もその名を挙げ、特に1856年に発表された《泉》〔図2〕に繰り返し言及し、その線描に「官能的で高貴な想像力」と「至上の調和」を見てとる(注8)。また、興味深いことに、同著では絵画についての最初の部分で「幻想絵画(Le Fantastique)」という項目を設けている。ギュスターヴ・ドレの《地獄の第9圏におけるダンテとヴェルギリウス》〔図3〕や『さまよえるユダヤ人』の挿絵版画、ヤン・ダルジャンの《夜の洗濯女たち》〔図4〕、ルイ・ブーランジェの《サバトのロンド》〔図5〕などをとりあげ、これらの「苛まれた魂に好まれる幻想的で恐ろしい理想」について「絵画においておそらく例外的で非常にまれな例ともいえる成果、すなわちこの幻想を、実を言うと、私は好んでいるのだ」と告白している(注9)。さらに、カンタルーブの趣味における顕著な傾向というのが、ギュスターヴ・クールベを中心としたレアリスムへの嫌悪である。「卑しい手法」を用い、「知性も、詩情もなく、メティエについての知識もない」レアリストたちの作品が伝統的で規範的な趣味を破壊していると述べる(注10)。そうした傾向はアルフォンス・ルグロやジャン=フランソワ・ミレーにも悪影響を及ぼしているという。カンタルーブは、ミレーが「彼の芸術の魅力的な手法から少しずつ離れ、より飾り気のない方法で人々の貧しさについての哲学的な考えを表現しようとしている」と指摘したうえで、「これほど不快にさせられては、その概念の持つ深い意味というのはもはや伝わらない」と批判し、「導く概念がいかに尊敬すべきものであったとしても」非難しなければならない、と指摘する(注11)。絵画の表現内容を表現そのものと分けて考え、前者よりも後者に重きを置くこの考えは、後の時代の唯美主義を予感させる。モローとカンタルーブにとってひとつの画期となったのが、1864年のサロンであった。モローは長年かけて準備した《オイディプスとスフィンクス》〔図6〕を出品し、熱烈な歓迎を受ける。カンタルーブもまた、モローの作品を声高に称えた批評家のひとりであった。彼は作者モローを代弁するかのように、本作が視覚的な表現を通じて道徳的な思想を表すという芸術の最も高貴な目的を果たしていると評価する。本作に対してはマンテーニャの影響が強く独自性に欠けるという指摘がしばしばさ― 391 ―

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