⒆ カンタルーブはモローに宛てた日付不明の手紙の中で、モローの作品《レダ》〔図7〕にインスピレーションを受けた田園詩「レダ」を捧げている(詩には1862年9月の年記がある)。白鳥とレダが描く線の美しさと神秘的な結びつきが印象的な同作に捧げられたこの詩は、途中で時間軸をさかのぼり、幻想的な最終場面へと向かっていく。カンタルーブは空間芸術としての絵画と時間芸術としての詩の違いを強く意識していたように思われる。Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Amédée Cantaloube, “Le Salon annuel de 1867”, Revue libéral, tome 2, pp. 210-211. カンタルーブは1864年12月5日付の手紙の中で、モローに向けてこう述べる。「僕らは現代風(moderne)になんてちっともなりたくないよな。ならなくたって、とても美しかったのだから」。 Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Amédée Cantaloube, “Salon de 1868”, Le Monde illustré, n° 582, 6 juin 1868, p. 363.⒃ Cantaloube, op. cit., p. 605.⒄ Cantaloube, 1861, pp. 32-33.⒅ Cantaloube, op. cit., p. 99. カンタルーブはモローやデトゥシュを通じてフロマンタンと知り合い、⒇ Cantaloube, op. cit., pp. 47-48. モロー作品が持つ多義的・象徴的な側面は、後に「文学的」「判じ絵」といった批判を受けることになる。モローの手稿には、そうした批判へのいらだちとも取れる記述が見られる。Gustave Moreau; Peter Cooke (éd. par), Écrits sur lʼart, pp. 142 et 220. モローが1860年代にサロンに出した作品は《オイディプスとスフィンクス》のように2つの重要なモティーフによって構築され、造形においても主題においても比較的明快な構造を持った作品が多い。同時代にすでに制作を開始していた《テスピウスの娘たち》〔図8〕や《求婚者たち》〔図9〕、《戦いの間、歌をうたうティルテー》〔図10〕などのより複雑な構図と象徴性を持つ裸体群像の大画面作品をサロンに出すことを回避していたことから、モロー自身こうした批判を予測していたのではないかと考えられる。 Amédée Cantaloube, “Le Salon de 1865”, Le Grand Journal, n° 59, 14 mai 1865. 1865年5月2日付のモローへの手紙で、カンタルーブは彼のサロンでの成功を称えている。de 1864”, La Semaine des familles, no. 38, 11 juin 1864, pp. 587-588. 近年の研究では本作の持つ重層的な意味が論じられ、作品の内なる意味を読み取ろうと鑑賞者を駆り立て続ける力を本作が持っていると指摘されている。Scott C. Allan, “Interrogating Gustave Moreauʼs Sphinx: Myth as Artistic Metaphor in the 1864 Salon”, Nineteenth-Century Art Worldwide, volume 7, issue 1, Spring 2008.Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Correspondance Cantaloube (musée Gustave-Moreau). Amédée Cantaloube, “Salon de 1866”, Le Journal politique, n° 98, 21 mai 1866. この記事は98号(5交流していた。月21日発行)から103号(6月25日発行)までの連載の初回であった。― 397 ―
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