注⑴堀修「夢二と服飾─日本近代婦人服飾史における夢二画─」『岡山大学芸術学研究』2号、岡を生産する活動、および雑誌読者に対する美的生活の啓蒙活動が主流であった。一方、大正5年頃より恋人に寄せる思慕の念が強まり、彼女に着せるための制作へと意識の傾斜がみられた。絵筆を用いた自由な描画による《合作帯》の制作は、商品の生産や誌上における生活改善の取り組み以上に、直接的で豊かな抒情表現を伴う芸術活動であったと考えられる。この他、手作りの過程を重視した夢二の活動として、昭和初期の人形制作や「榛名山美術研究所」の計画が挙げられる。大正初期の肉筆服飾デザインをこれらの活動の源流と捉え、今後は更なる考察を行いたい。山大学芸術学研究会、1992年。⑵荒木瑞子「「草の葉染」をご存じですか」『らぴす』13号、アルル書店、2001年。⑶高橋律子『竹久夢二 社会現象としての〈夢二式〉』、ブリュッケ、2010年、29-44頁。⑷夢二が「小美術」を用いたためこれに統一する。⑸入江繁樹「〈小芸術〉のゆくえ─1910年代における〈美術-工芸〉間の関係性をめぐって─」『大正イマジュリィ』8号、大正イマジュリィ学会、2013年、82-102頁。⑹熊田司「「小美術品店」の時代─美術店田中屋と柳屋書店を中心に─」『大正イマジュリィ』6号、大正イマジュリィ学会、2011年、36-37頁。⑺長田幹雄編『夢二日記1』、筑摩書房、1987年、55頁。明治43年7月14日。⑻『三越』3巻12号、三越呉服店、1913年、9頁。⑼「竹久夢二とその周辺」展(1988年)や「20世紀日本美術再見Ⅰ─1910年代」展(1995年)は夢二の小美術的側面を紹介した。また、熊田司(前掲⑹、42頁)と瀬尾典昭(「三笠美術店と近代の工芸について」『大正イマジュリィ』6号、前掲⑹、22頁)は港屋を小美術店としている。⑽原田敦子「竹久夢二の〔商業美術〕活動について─港屋絵草紙店・どんたく図案社の問題を中心に─」『宮城県美術館研究紀要』4号、宮城県美術館、1989年、109・114頁。⑾入江繁樹、前掲注⑸、82-102頁。⑿瀬尾典昭、前掲注⑼、23頁。美術市場の未熟さが原因かと指摘される。⒀熊田司、前掲注⑹、46頁。⒁『三越』3巻3号、三越呉服店、1913年、13頁。⒂『三越』3巻12号、前掲注⑻、10頁。⒃『三越』4巻6号、三越呉服店、1914年、4頁。⒄仲田定之助「随想 港屋」『三彩増刊 竹久夢二』、三彩社、1969年、87頁。⒅高橋律子、前掲注⑶、32-36頁。⒆『読売新聞』1914年9月28日朝刊5面。岸たまき「夢二の想出(六)」『書窓』16巻5号、アオイ書房、1943年。⒇廣田知子「みなと屋の夢二」『猫町文庫』4集、猫町文庫、2013年。 森田たま『もめん随筆』、中央公論社、1936年、137頁。― 30 ―
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