年之「近代南画史考」(『自然に遊び、自然に謳う─近代南画展』群馬県立近代美術館、1999年)が論じており、参考とした。なお、直入には自著『南画真趣』があり、鉄斎は正宗得三郎『富岡鉄鎖』(錦城出版社、1942年)に「翁の南宗画論」として掲載された文章中に「文人南宗画」「文人画」「南派」の語を使っている。⑵直入の伝記については主に以下を参照した。奥田天門『直入先生系傳』石敢堂書房、1908年渡邊勝『直入居士傳』画神堂、1925年「田能村直入翁年譜」(田能村傳太編『耶馬渓真景図記』画神堂、1984年)⑶鉄斎の伝記については主に以下を参照した。本田成之『富岡鉄斎』中央美術社、1926年正宗得三郎『富岡鉄鎖』錦城出版社、1942年小高根太郎『富岡鉄斎の研究』芸文書院、1944年富岡益太郎編「富岡鉄斎年譜」(『鉄斎研究』第4号、1971年6月~第9号、1972年11月)富岡益太郎編著「富岡鉄斎年譜」(『生誕150年記念 富岡鉄斎展』京都市美術館・京都新聞社、1985年)⑷堺市役所編『堺市史』第7巻別編、1930年、345-348頁⑸堺市役所編『堺市史』第3巻本編第3、1930年、552-556頁⑹『南画真趣』は上・中・下冊からなるが、中・下冊のみが直入没後30年の昭和12年に和装活版書として翻刻公刊された。上冊は自筆草稿本が西尾市岩瀬文庫に所蔵される。⑺京都市立芸術大学百年史編纂委員会編『百年史 京都市立芸術大学』京都市立芸術大学、1981⑻市立大阪市民博物館編『明治天皇行幸大阪行幸誌』大阪市役所、1921年⑼注⑶前掲、富岡益太郎編著「富岡鉄斎年譜」に、「明治9年12月18日堺県令の内命により大和御巡幸御道筋の神社御陵位置の絵図巻作製のため実地検分」「明治10年1月25日前年調査の御陵、神社位置図巻完成、県令税所篤に提出」とある。「堺県行幸道筋官幣大社御陵位置図巻」は税所の命で行幸の前に制作されたようである。なお、「堺県行幸道筋官幣大社御陵位置図巻」は『鉄斎研究』第25号(1976年5月)、「堺県行在所御飾付図巻」は『鉄斎研究』第24号(1976年3月)に掲載されており、両作ともに税所家旧蔵と記されている。⑽荒川豊蔵資料館学芸員加藤桂子氏によると、画家を志したこともある荒川豊蔵は鉄斎の作品を好み、鉄斎に憧れていたという。⑾正木直彦「堺時代の鉄斎翁」(『塔影』第11巻第6号、1936年6月)⑿日野俊彦「陳曼寿と日本の漢詩人との交流について」(『成蹊國文』第48号、2015年3月)⒀注⑶小高根前掲書、191-193頁⒁古原宏伸「古典主義の終焉─仿ということ─」(『特別展 橋本コレクション 十八世紀の中国絵画─乾隆時代を中心に─』渋谷区立松濤美術館、1994年)⒂野沢真知子「富岡鉄斎の臨摸について4」(『萌春』第279号、1978年8月)⒃注⑶正宗前掲書に、鉄斎が「人に送った書翰と同時に封入されたもの」として鉄斎の「南宗画論」の写真と翻刻が掲載されている。⒄『[定本]日本絵画論大成』第6巻(ぺりかん社、2000年)所載の『竹洞画論』は、解題によると巻子にまとめられた草稿本で、箱書は富岡鉄斎による。― 408 ―
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