㊳ 紫式部の近代表象――古典文学の受容と作者像の流布に関する一考察――研 究 者:東京大学大学院 総合文化研究科 助教 永 井 久美子はじめに紫式部の絵姿は、『源氏物語』起筆伝説に基づき表された長い伝統を有する。式部が石山寺に参籠した折に、琵琶湖に映える十五夜の月を見て、流離の貴公子が月を眺め都を思い出す情景の着想を得て、須磨巻および明石巻から執筆を始めたとする伝承に基づくもので、式部は①文机を前に筆を執り硯を傍らに置く姿、ないしは②湖水に浮かぶ月を眺める姿のいずれかで描かれた。小川破笠(1663~1747)の「紫式部図」〔図1〕のように、①と②の双方の要素を組み合わせた図像も少なくない。「紫式部日記絵詞」や歌仙絵にみられる女房姿を除けば、式部の姿は、『源氏物語』の作者であることを示す前述の記号とともに主に表されてきた。近代の日本画にも、月を眺める姿、文机を前にする姿が多く継承されている。一方で、式部の人物伝も、『紫式部日記』を簡潔にまとめた『前賢故実』のテキストが原型となり、明治以降、教科書などで広く読まれた。菊池容斎(1788~1878)による評伝『前賢故実』は、天保7年(1836)から明治元年(1868)にかけて刊行され、その挿図は、歴史画、人物画の典拠として、刊行後頻繁に参照された。ただし『前賢故実』で描かれた式部の絵姿は、厨子の前で書物を読みふけるさまを描いたもので、従来の典型的な式部像とは異なるものであった〔図2〕。『前賢故実』は、絵の典拠として頻繁に参照されたばかりでなく、その人物伝のテキストも繰り返し引用された。『紫式部日記』の内容を簡潔にまとめた『前賢故実』の式部の略伝は、その後の式部の評伝の典型となり、同種の人物伝が修身の教科書にも繰り返し掲載された。『前賢故実』の式部の図様がそのまま引き継がれることこそ少なかったようであるが(注1)、石山寺起筆伝説に基づく伝統的な図様は教育の場では取り上げられず、湖水の月を臨む式部像は、学校教育とは別のところで広がりをみせた。紫式部の絵姿をめぐるこの二つの大きな流れ、すなわち、起筆伝説型と教科書掲載型の乖離がなぜ起きたかを問い、教育の場ではどのような式部像が取り上げられたかを追うことで、近代において文学者像に求められたものを考察する。― 412 ―
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