伝説に基づき、石山寺で月を眺める式部の姿を描いている。⑵藤岡忠美、中野幸一、犬養廉、石井文夫校注・訳『新編日本古典文学全集 第26巻 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記』(小学館、1994年)203~204頁。現代語訳も同書から引用した。下線は筆者による。⑶菊池容斎『前賢故実』巻第五、雲水無尽庵、1868年、第57丁ウ。⑷芳賀矢一『国文学史十講』(富山房、1899年)108~109頁。傍点は原典の表記による。表記は新字体に改めた。⑸大野晋・大久保正編集校訂『本居宣長全集』第4巻、筑摩書房、1969年、174~176頁。⑹安藤為章『紫家七論』平重道、阿部秋生校注『日本思想大系第39巻 近世神道論・前期国学』(岩波書店、1972年)437~439頁。⑺陽明文庫本『枕草子』第280段「雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子まゐりて」、松尾聰、永井和子校注・訳『新編日本古典文学全集 第18巻 枕草子』小学館、1997年、433~434頁。⑻注⑵前掲新編全集『紫式部日記』204頁。⑼注⑵前掲新編全集『紫式部日記』208~209頁。⑽たとえば『婦女鑑』巻第五(宮内省、1887年)には、「かくのごとく才学ともに世に絶⑾『小学国語読本』巻十一(池田書店、1938年)14頁。式部の略伝に続き、『源氏物語』若紫巻と末摘花巻の一部が、編集され現代語に訳された形で掲載された。『小学国語読本』引用の表記はいずれも新字体に改めた。⑿注⑾前掲『小学国語読本』巻十一、15頁。⒀『紫式部日記』には「書」とのみ記されるが、芳賀矢一の『国文学史十講』(明治32年(1899))では『史記』とされ(『国文学史十講』107頁)、これと同様に『史記』とする伝記も多い。『史記』は大学寮試験の出題対象でもあり、平安朝の官人に重要視された書物の一つで、『源氏物語』でも少女巻に夕霧が『史記』を学ぶ姿が記されている。⒁惟規と式部の年齢差には諸説あり、注⑵前掲新編全集『紫式部日記』では、式部が年長であったからこそ、長子として跡目を継がせることができればと考えたとする立場がとられている(209頁)。⒂注⑵前掲新編全集『紫式部日記』209頁。⒃注⑾前掲『小学国語読本』巻十一、14~15頁。⒄秋山虔監修、小林正明編『批評集成源氏物語 第五巻 戦時下篇』(ゆまに書房、1999年)参照。⒅伊井春樹「『源氏綱目』の挿絵」平安文学論究会編『講座平安文学論究 第八輯』(風間書房、1992年)参照。⒆小島孝之・小松親次郎編『異文化理解の視座─世界からみた日本、日本からみた世界』(東京大学出版会、2003年)、日向一雅『源氏物語─東アジア文化の受容から創造へ』(笠間書院、2012年)、河添房江『源氏物語と東アジア世界』(日本放送出版協会、2007年)ほか多数。― 420 ―すぐれ、身をつゝしみて人におごらず、よく婦女たるの徳を修めしにより、後の世までも人これを賞揚せり。」と記される(26丁オ、27丁ウ)。
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