鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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巻5〔図3〕巻7〔図4〕巻6に変化が見られ、金泥が用いられるなど装飾的になり、前半の描写と明らかな技巧的な差がある。一方、人物表現には他巻に比しても多様性があり、特に一遍の顔貌は写実的に入念に描きこまれている。また、一遍臨終の場面における僧侶たちの泣き顔にはそれぞれ微妙に描き分けられており、涅槃図などを参考にしたか。馬の鬣や女人装束の一部に銀泥があしらわれており、ここでも他巻より装飾性が看取できる。添景描写では、室内空間構成が巧みで破綻がない。「玄奘三蔵絵」のように土坡に側筆を用いて描線に抑揚をつけている。樹木や下草などに一部金泥を用いたり、また屋根の上に積もる小雪に胡粉を吹きかけて表現するなど細部にこだわりがある。人物描写では、他阿の表情がとても写実的でより肖像画に近い雰囲気を持っている。以前より患っていたとされる右側の顔面神経痛を他巻よりもやや詳細に描きこんでいる。しかし後半になるにつれて、人物が省略化されてゆるやかになり、面長で平面的な顔貌になる。一方で、甲冑をまとった武士は合戦絵からモチーフを転用したものか、典型的なポーズや人物がやや均直な筆で描かれている。すやり霞は上下に配され、縁取りは墨線のみでやや単調に描かれる。この巻では背景は簡略化され、人物・添景描写が他巻に比較して大雑把な印象を受ける。特に屋台引きや衣文線、輪郭といった描線も平易でともすると稚拙に見える。人物描写では、手指の描写ややや誇張した筋肉の描き方が「法然上人絵伝」48巻本の人物に近く、14世紀の雰囲気を残している。全体を通して、人物描写の巧みさと添景描写の拙さの差が著しく、それぞれを担当した絵師の技量の差があったことは否めない。添景は少なく、余白を埋め尽くすかのように群衆が描きこまれている。特に後半の善光寺での大念仏の場面では、舞台の中心で一心に念仏踊りを行う他阿と時衆、それを見物するあらゆる習俗の人物が描かれるが、黒傘を持った蓬髪の男、侏儒の男、鹿角に瓢箪を持つ人物など特殊な家職の人々は、東博本、金光寺本、遊行寺本といった他諸本においても記号的モチーフとして踏襲されている。また、弓矢を持つ武士や顎― 438 ―

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