に手をあてた片膝立ちの男は、他の祖師絵伝にも登場する典型的なモチーフが用いられる。前述したように、金蓮寺本における破綻のない群衆表現は、各巻の画風や技巧に相違があるものの全巻に通底している。巻8添景描写では、遠近描写・空間構成が明確に描かれ、緑青や群青を用いた土坡・岩石の賦彩、金泥をあしらった花木などの樹木表現が巧みで、康永本「親鸞伝絵」を彷彿とさせる。特筆すべきは、気比大神宮でのお砂持ちの場面における、洗濯干しや鳥吊るし、山中を歩く時衆の描写など他諸本には見られない場面が描かれている点である。人物描写は、従来の巻に比して個々の写実性に富んでいる。体躯も長身で力強く描かれ、合戦絵等にみられる人物描写を想起させる。巻9総じて人物・添景ともに簡略化され、空間構成も余白が多く間延びした印象を受ける。また第6紙の沢飛び(岩とび)の修行で次々と湖水に飛び込む時衆僧の姿を描くが、同場面における他本の竹生島の描写には及ばない。また、全体的な賦彩についてもムラがあり、色溜りが残っている。しかし第14紙から画風が大きく変化し、掘り塗りの衣文線を用いた装束やゆるやかな人物描写は「慕帰絵詞」などを彷彿とさせる。巻10御影に参詣する場面は特に丁寧に描かれている。人物描写は鼻梁の通った高い鼻に薄い唇を配した端正な表現である。しかし、樹木や背景の添景描写はほとんど描かれておらず、余白が多いのでおおらかな構図になっている。特に遠景の人物描写の崩れや水景の賦彩の稚拙さが見受けられ、ここでも、それぞれを担当した絵師の技巧の差が歴然とあらわれている。1-2、金蓮寺別本視点が高く鳥瞰図的に構図を定める。〔図5〕「気比大神宮参道造営の図」では、他の諸本には見られない海岸から砂を運ぶ様子が描かれ、詞書に忠実に描こうとする姿勢がうかがえる。海浜の景がよく描かれている。人物の描線はやや硬直しているが、御影堂本「一遍聖絵」の人物表現に似ているとされる(注4)。また、調査に同行し― 439 ―
元のページ ../index.html#450