鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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「遊行上人縁起絵」諸本系統については次のように分類している。 甲本(A本)  神戸・真光寺本 東京国立博物館本 京都・金光寺本 大和文華館本断簡 注⑴ 宮次男「遊行上人縁起絵の成立と諸本をめぐって」(『日本絵巻物全集23 遊行上人縁起絵』角川書店、1968年)、同編『日本の美術56 一遍上人絵伝』(至文堂、1971年)、『角川絵巻物総覧』(角川書店、1995年) 乙本(B本) 山形・光明寺本 清浄光寺古縁起本(明治44年焼失) 丙本(C本) 長野・金臺寺本 広島・常称寺本 遠山記念館本 甲本(A本)は原本の正系とされており、僧・尼の区別が明瞭に描かれているのが特徴である。⑵ 宮崎もも編『名品鑑賞3 大和文華館の物語絵』(大和文華館、2014年)。大和文華館本断簡は、宗俊本甲本系諸本において最古の現存作例とされており、鎌倉時代に遡ると推定される。この人物の古様な顔貌表現を、金蓮寺本第1、2の人物描写が継承していると考えられよう。また、同館所蔵の「平時物語絵断簡」の人物描写との密接な関連性についても指摘する。⑶ 注⑴に同じ。(宮次男、1971)⑷ 注⑴、注⑶に同じ⑸ 注⑴、注⑶に同じ。金光寺本(火災により焼失し、現存するのは巻3、5、6、9のみ)は、甲本系統で鎌倉時代(14世紀頃)に制作される。いわゆる鎌倉地方様式を彷彿とさせる謹直な描線が特徴である。清浄光寺(遊行寺)本は、10巻本で制作期は室町時代とされている。⑹ 仏教芸術学会編『仏教芸術185号 特集〈時宗の美術と芸能〉』(毎日新聞社、1989年)、相澤正彦「遊行上人絵」(『遊行寺蔵一遍上人絵巻の世界』神奈川県立歴史博物館、1997年)、源豊宗「真光寺本遊行縁起絵巻の作風」(『美学論及 2』1962年)、宮次男「永福寺本遊行上人縁起絵」(『美術研究』第333号、1985年)⑺ 津田徹英「佛光寺本『善信聖人親鸞伝絵』の制作時期をめぐって」(『美術研究 第408号』平成25年)。津田氏は、本稿において、金蓮寺本の一部(巻4、8、9、10の奥書)と佛光寺本「善信聖人親鸞伝絵」の詞書筆者が同筆であることを指摘し、いずれも南北朝時代の能書家・三条公忠(1324-1384)によるものと鑑定した。他に同筆者の詞書を持つものとして「慕帰絵詞」、東寺「弘法大師行状絵」、「後三年合戦絵巻」などを挙げ、したがってそれらは、14世紀後半、南北朝時代まで制作時期が上がると指摘している。⑻ 小野澤眞『中世時衆史の研究』(八木書店、2012年)、砂川博『中世遊行聖の図像学』(岩田書院、1999年)。史料では、15世紀における四条道場と藤沢道場は、その法灯継承の正統性と本寺・末寺の地位をめぐって激しく対立した。⑼ 注⑺に同じ。また調査をすすめていくと、金蓮寺本巻1の詞書筆者が、六条有光(1310~不詳)更に進め、「遊行上人縁起絵」諸本の制作環境および祖師伝絵巻制作ネットワークが中世においてどのような状況下にあったのか、その解明に努めたい。金蓮寺本(20巻) 金蓮寺本別本(巻8のみ) 別府・永福寺本 新潟・専称寺本 清浄光寺本(室町) 清浄光寺模本(江戸)である可能性をご教示いただいた。― 442 ―

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