注⑴朴美貞「植民地朝鮮の工芸と日本─〈産業政策〉と〈アジア古代文明〉への試み」(稲賀繁美編『伝統工芸再考、京のうちそと─過去発掘・現状分析・将来展望』思文閣出版、2007年8月、383-409頁)所収明会と国民美術協会の後援によって東京で開かれた。これらの展示は、朝鮮の古美術(古陶磁器)を展示することによって、一方では、東洋文化、朝鮮文化の理解をはかり、他方では、日本文化の特質を見出し、日本文化の特質としての「良いものの見識」、「見方を培う場」を提供しようとするものであった。言い換えれば、アジア文化圏の中国とも朝鮮とも異なる日本独自の文化要素を見出し、それを鑑賞者(一般大衆・国民)に発信することによって、アジアに君臨する帝国日本のアイデンティティーを植え付ける目的を孕んでいたともいえる。結びにかえて朝鮮伝統工芸は日本によって発見され、美術工芸品としての選定を経て、その歴史性(記述)が付与された。伝統工芸の近代的生産・消費のシステムとアンティックとしての商品価値を高め、国民精神の高揚を促す媒体としても位置づけされた。中でも楽浪の発見と評価を通して、工芸というモノが、日本(美術)を盟主とする東アジアにおける歴史の創造、国民のアイデンティティーを模索していく媒体(国民・国家美術品)として変貌していく。今回は、朝鮮美術工芸品をめぐる近代的歩みを、田辺孝次の足跡を中心に追ってみた。田辺は従来の関野をはじめとする朝鮮美術への眼差しを受け継ぎながらも、朝鮮工芸における独自性を模索していた。高麗の青磁に朝鮮美術の独自性を高く評価し、また、李朝の螺鈿をはじめとする工芸全般を引き合いに出している。高麗李朝の陶磁器を中心に、李朝に至るまでの工芸全般をジャンル別に分類・整理したその研究は、今日の韓国工芸研究(史)の基礎を作りあげたものとして評価されるべきである。⑵「田邊教授の夫人や旧師の涙ぐましいばかりの喜び」『大阪毎日新聞』昭和2年1月16日、所収⑶田辺孝次「英国風の紳士」『中條精一郎君を弔う』社団法人日本建築学会、50(612)、1936、519-520頁所収⑷「我が生涯─田辺孝次自叙傳」1941(昭和16年12月1日起稿)~1943(昭和18年終)年に書きおえたとご子息田辺徹先生より伝わる。全40章344頁(博文館日記)手書き、未刊⑸六角紫水制作の《アルマイト刀筆浮文獅子手箱》が李王家のコレクションになり、現在中央博物館に所蔵されている。⑹田辺孝次・鎌倉芳太郎著『東洋美術史』玉川学園出版部、1930年10月― 454 ―
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