内国博の審査員を務めた天心は、「木彫ハ従来ノ如キ坐隅ノ玩弄物タル資格ヲ離レ、新ニ実用ニ基キタルモノトナリ、歴史上ノ事実ヲ表彰シ、国家ニ功労アル忠臣義士ノ肖像ヲ示スノミナラズ、神武帝及ビ護良親王等ノ御像ヲ彫造スルモノアルニ至リタルハ、最モ嘉スベキノ事実ト謂フベシ」と講評している(注9)。天心が評価するのは、「歴史上ノ事実ヲ表彰」した彫刻の出現であり、かつ「実用ニ基キタルモノ」になったことだ。「実用」とは、像を通じて国威発揚を促すような啓蒙効果であり、《神武天皇立像》はモニュメント性も兼ね備えた格好の主題であった(注10)。他方、「従来ノ如キ坐隅ノ玩弄物」には手厳しい。「坐隅ノ玩弄物」とは、室内や身辺に置かれる近世以来の置物や人形、根付、欄間の彫刻、象牙彫などの立体造形を指すとみられる。すなわち、近代に「彫刻」概念の普及によって位置づけが曖昧となり、「美術」の正統から追いやられたもの(注11)、古田氏の言葉を借りるならば「輸出品奨励政策が生んだ小品」と同義である。しかし、天心の否定的な見方とは裏腹に、明治30年代以降の久一は、置物や人形など伝統的な立体造形=小品の制作に意欲的に取り組むのである。2 置物・人形・肖像彫刻の制作「置物」とは、「神仏の前や床の間などに装飾として置く物」や「金銀の箔を置きちらした物」とされる(注12)。ここでは「置物」の定義を、動物や人物を主題とし、木材・象牙・金属・陶磁などを素材に用いた、室内で鑑賞される立体作品として便宜上解しておきたい。《鶴亀置物》〔図3〕は、華族有志から皇室へ献納された九代伊藤平左衛門《桑木地飾棚》を構成する付属品であり、能の演目「鶴亀」に依拠して、鶴を高村光雲、亀を久一が担当した合作である。久一には、他に《太平楽置物》〔図4〕や《久米舞》〔図5〕など芸能に基づく置物があり、皇室に所縁のある演目や吉祥性のある主題をしばしば選択している。大熊敏之氏は、明治期の置物が有する造形的特色を、オリジナルの置物台に求めており、置物台が作品の主題を補助する機能があったと分析する(注13)。《鶴亀置物》や《久米舞》にも台座が据えられ、台上の人物が舞う空間を演出しており、さらに作品が置かれる場所と調和するよう工夫されている。日高薫氏は、明治期の置物が「彫刻」や「工芸」などの新概念に翻弄されながらも、江戸期以来の様式を踏襲しており、その連続性に着目する必要性を説く(注14)。― 36 ―
元のページ ../index.html#47