鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
482/550

筆者も、〈名誉の間〉をはじめとした1930年代の作品制作が、のちの空間主義に繋がることに異論はない。しかし、ペルシコとの関係からこの時期のフォンターナに見られる「空間的なるもの」の萌芽を考える際、1936年の〈名誉の間〉以前に制作された1934年の《虚空の勝利(34SC2)》〔図2〕についての再考を提案したい。本論文ではまず、この作品が本来展示されるはずだったイタリア航空博覧会における他の芸術家の作品との比較をおこない、この作品が持つ「異質さ」を指摘する。次に、ペルシコの芸術批評を再読したうえで、フォンターナのこの時期の作品の色彩における探求を考察し、それが批評家による建築空間の明暗表現と繋がることを確認していく。以上をふまえ、《虚空の勝利》の「隠喩性」に見られる、空間主義に繋がる要素を明らかにする。3)イタリア航空博覧会における《虚空の勝利》の造形表現の異質さ……筆者は、ある展覧会から、そのなかで最も素晴らしい像であったろうフォンターナの作品が引きあげられるのに立ちあった。この彫刻、デ・フィオーリのもののように、胸を熱くさせる翼のない《勝利》は、ひと晩、皆の平穏を脅かした:朝、それは消えていた(注9)。(下線は筆者による)これは、1934年のイタリア航空博覧会における《虚空の勝利》の展示の際に起こったことである。本来この像は、G・パガーノが手がけたアトリウムに設置されるはずであった(注10)。S・ビニャーミは、少女と女のあわいのごとき純粋な姿ながら「当世風」の髪型をしたこの女神像は、おそらくテレジータの肖像だとしている(注11)。この博覧会は、イタリア空軍への賛美をテーマとするものだ。前年、空軍大臣I・バルボが、イタリア空軍十周年を記念する二度目の大西洋横断飛行に成功した。この1930年代前半はイタリア空軍が最も輝いた時期であり、国内では空前の「航空」ブームが起きる。この博覧会においてペルシコは、パガーノとともに組織責任者を務めていた。携わった展示室の数から見れば、ペルシコよりはパガーノの手腕がより強く感じられる。ビニャーミが博覧会の「もっとも魅惑的な部屋のひとつ」だとする、パガーノによる〈イカロスの間〉の壁には、M・マスケリーニによる上昇するイカロスの像〔図3〕が配されている(注12)。同じくパガーノのプロジェクトによる〈十周年記念の横断飛行の間〉の壁面には、A・マルティーニの《勝利》〔図4〕が設置された。海を渡ったことを説明する二頭のイルカに足を支えられ、「航空機=鳥」をいくつも従― 471 ―

元のページ  ../index.html#482

このブックを見る