れた三点に共通する色は「黒」である。加えてペルシコは、《座った少女》の衣服の「黒」にはフォンターナのこれまでの「色彩の苦悩の全て」が集約されており、「忘れがたいアクセント」であると述べた。つまり、この「代表作」の色彩表現において、「金と黒」のコントラストを高く評価しているのである。さあ、もう一度、《虚空の勝利》の色彩について思いだす必要があるだろう。この女神の色彩は「金と青」である。ペルシコの理解において、なぜ《虚空の勝利》の「金」は「装飾的」であったか。それはこの批評家が、女神の衣服の「青」を、「黒」のように「金」と対をなす色だとはとらえなかったからである。いみじくもカンピーリオは、フォンターナの色彩の明暗表現と、ペルシコによる光と影の明暗表現は同じ傾向にあるものだと述べていた。ペルシコのこの「金と黒」のコントラストに対する高い評価は、彼の推察を裏づけるものだと言えるだろう。ところがカンピーリオは、フォンターナによる金の使用を、ブレラ美術学校での師であったアドルフォ・ヴィルトが金を偏愛したことから来るものとした(注19)。谷藤も〈名誉の間〉の分析に先立つフォンターナの作品分析に際して、カンピーリオの見解に同意を示す(注20)。ヴィルトが作品制作において金を多用したことは事実であり、その影響がフォンターナになかったとは言えない。しかし、あえて両者の彫刻における素材の違いに言及しないとしても、師の影響のみで「金」という色の選択を語ることは難しい。そもそも、ヴィルトにおいて「金」は、宗教主題を扱う際であれば主に「聖性」を示すものとして使用されており、そうでなければ人物像の金属製の装飾品や頭髪の色に使用されることが多いのである(注21)。フォンターナがこの時期、金を聖性の表現として扱っていないことについては、語らずとも明らかである。また、人物像の皮膚と髪全体にこの色が選択されていることから、装飾品や頭髪として金を扱っていないことも明白である。むしろフォンターナの金は、それを「明暗」の「明」と定義するのであれば、直接的な聖性を意味しない「自発光」の表現と理解しうる。すでに引用したとおり、ペルシコはこの時期のフォンターナの着彩彫刻におけるヴォリュームの分解を指摘している。当時この芸術家が自然主義的でない着彩を用いた理由として、その彫刻の量塊を軽減する意図があったことは確かである(注22)。その意図が、のちの空間主義における「質量を感じさせない媒体」である「光」そのものを使用した作例へと繋がる可能性についても、筆者はこれまでの研究で扱ってきた。― 474 ―
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