5)「隠喩性」と「光」、そして空間主義へしかし、今回のペルシコの批評の再読によって、1930年代のフォンターナにおける「金」という色の使用は、《ブラックライトの空間環境(48-49A2)》〔図7〕に見られるような、「形態を自発的に光らせたい」という欲求により直接的に繋がる可能性が明らかになった。また、フォンターナの彫刻における「金と黒」という色彩のコントラストが、ペルシコの建築空間において「光と影」の明暗に置きかえうる可能性も導かれた。イタリア航空博覧会の〈イカロスの間〉において、パガーノがこの部屋に設置したのは、床に作られた黒い水面から天井に繋がる青い螺旋の構造体であった(注23)。一端が地に接し、もう一端が天井に接するこの構造体は、下から見あげる鑑賞者に「上昇」のイメージを与える。壁にとりつけられたイカロス像は、この「上昇」のイメージをさらに強めるものだ。イカロスは「地面から上昇」して「飛行」するのであり、これは、航空機のイメージとも繋がる。当然のことながら、航空機もまた、「地面から上昇」して「飛行」するものだからだ。一般に、合理的な「飛行」のイメージは、「地面からの上昇」と繋がっている。地上に実在する「空を飛ぶもの」が「飛行」のイメージに投影される以上、それは当然のことと言える。同時期の未来派による、航空機の飛行を主題に展開する航空絵画にも、この傾向は明らかである。地面からの上昇に始まるものは、つねに下降して地面に戻る。鳥の飛行も、航空機の空中旋回も、あくまでそれは一時的なものであり、空中にとどまることはない。これは地上にある「空を飛ぶもの」の限界であり、それが投影される「飛行」のイメージには、必ず下降と地面への帰還がついてまわる。1951年の《ネオンの構造体(51A1)》〔図8〕においてフォンターナは、青く塗られた天井に光の渦を実現した。このネオン管が示すものは、「空を飛ぶ何か」の軌道である(注24)。「飛行」の直喩表現がここには一切見られないのにも拘わらず、そこには「空を飛ぶものの軌道」が表されている。この軌道には実在する「空を飛ぶもの」が投影されていないため、「飛行」は「地面からの上昇」と結びつけられない。それによってこの構造体は、「空を飛ぶものの軌道」でありながら、空中で動きはじめてそこにとどまり続けている。これをふまえてフォンターナの《虚空の勝利》を考えると、その「隠喩性」こそ、空間主義に繋がる本質であると理解できる。― 475 ―
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