⑸Campiglio, Paolo, Lucio Fontana: la sculturaarchitettonica negli anni Trenta, Nuoro: Ilisso, 1995, pp. 35-87.より早いものとして1950年、R・カッリエーリが〈名誉の間〉に見られる空間を主題とする意識について指摘している。Carrieri, Raffaele, Pittura, scultura dʼAvanguardia in Italia (1890-1950), Milano: Conchiglia, 1950, pp. 286-291.注⑴フォンターナの経歴については以下を参照。Crispolti, Enrico; et al., a cura di, Lucio Fontana:Catalogo raggionato di sculture, dipinti, ambientazioni, Tomo II, Milano: Skila, 2006. なお、本文中で初出時に付したフォンターナ作品の整理番号はこのレゾネに依拠する。⑵現在ペルシコのアーカイヴ史料は、G・パガーノの史料とともにスイスの個人によって管理されており、元の委託先であった財団とこの個人の間で史料の所蔵についての見解が一致していない。[http://www.deportati.it/news/pagano_appello.html 2016年8月2日閲覧]。今回の研究期間中に一次史料を調査することは不可能であったため、ペルシコ本人についての研究は以下を参照。Veronesi, Giulia, a cura di, Edoardo Persico. Tutte le opera (1923-1935), Tomo II, Milano:Edizione di Comunità, 1964; Mariani, Riccardo, Oltre lʼarchitettura. Scritti scelti e lettere di EdoardoPersico, Milano: Feltrinelli Editore, 1977; De Seta, Cesare, a cura di, Edoardo Persico, Napoli: Electa,1987.⑶ペルシコが「反ファシズム」の著述家とされるのは、主にその建築批評における一貫した態度による。国家の要請の中でファシズムを体現する建築とイタリア合理主義建築を結びつけようとする動きに対し、ペルシコは一貫して批判の姿勢を崩さなかった。Veronesi 1964; Ciucci,Giorgio, Gli architetti e il fascismo, Torino: Einaudi, 1989(ジョルジョ・チゥッチ著/鹿野正樹訳『建築家とファシズム イタリアの建築と都市1922-1944』鹿島出版会、2014年);北川佳子『イタリア合理主義 ファシズム/アンチファシズムの思想・人・運動』鹿島出版会、2009年。⑷これに対し、建築空間についての考察では、〈名誉の間〉の列柱の表現などに見られる古典主義的な表現が、ファシズムの求める「一権力による支配を象徴する古典的伝統の復興」と重なるか否かで研究者の意見は分かれた。たとえばG・ヴェロネージはこれが重なるととらえ、G・チゥッチは重ならないと考えている。Veronesi 1964; Ciucci 1989(チゥッチ2014)。⑹エンリコ・クリスポルティ著/飛嶋克弘・河原寛之(アウラ・マーニャ)訳「フォンターナ、フォンターナの空間主義が、イタリア航空博覧会への参加や、〈名誉の間〉でのペルシコとの共同制作といった、イタリア合理主義建築の世界にふれた1930年代の経験や、未来派の航空絵画における飛行表現から霊感を得たことは確かである。しかし、すでに1930年代のフォンターナの色彩表現には、質量を感じさせない媒体である「光」を作品にとりこもうとする意識を読みとりえた。また同時に、当時のフォンターナの作品にはすでに空間主義の持つ「隠喩性」を見いだせることがわかった。ペルシコの卓抜した批評は、断片的にではあれ、ひとりの芸術家が持ちつづけたある本質をとらえている。彼の批評と、それをふまえた建築空間の明暗表現の共有は、ペルシコの死後10年のときを経て空間主義に達する、フォンターナという芸術家の背骨を支えつづけたといえるだろう。― 476 ―
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