鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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表 エドアルド・ペルシコとルーチョ・フォンターナの関連年表エドアルド・ペルシコは未提出)ゴベッティの死後、トリノへ移住ニとともに「トリノの6人」を支援ピエトロ・マリア・バルディの呼びかけで『イル・ベルヴェデーレ』誌の編集に関わるためミラノへ移住ブレラ通りにバルディの持っていたバルディの画廊で「トリノの6人」展開催オーネ画廊」と命名され、この画廊の運営に関わるルゴの展示を企画(2月)一時期、画廊の所有者ギリンゲッリ兄弟と衝突するも、再び画廊に近づくフォンターナのモノグラフィー原稿を執筆(11月)自宅にて死去(1月11日)〈名誉の間〉のプロジェクトが『ラ・カーサ・ベッラ』2月号に掲載される第6回ミラノ・トリエンナーレにおいて、マルチェッロ・ニッツォーリが計画を引き継ぐ形で〈名誉の間〉公開(ジャンカルロ・パランティも計画に関わる)フォンターナのモノグラフィー出版― 479 ―ルーチョ・フォンターナアルゼンチンのロサリオ・デ・サンタ・フェに生まれる父とともにイタリアへ第一次世界大戦に義勇兵として参加するため学業を中止(カルロ・カッタネオ工業専門学校および産業応用美術高等学校、籍は1917年まで置かれている)復員、学業に復帰し建築士のディプロマを得る父方の家族とともにアルゼンチンへミラノへ戻り、ブレラ美術学校の彫刻コースへこの年末か翌年初にブレラ美術学校でディプロマを取得ミリオーネ画廊にて、美術に関するアカデミックな教育を終えてから初めての展示(2月)従兄弟の建築家ブルーノらとともに、《ジュゼッペ・グランディ記念噴水のための模型(31A1)》を制作ミリオーネ画廊にて初の個展(12月)前年の個展についてのピエロ・トッリアーノの報告が『ラ・カーサ・ベッラ』1月号に掲載されるイタリア航空博覧会に《虚空の勝利(34SC2)》を提出するが、撤去されるミリオーネ画廊にて、イタリア初の抽象彫刻展を開催(1月)〈名誉の間〉のため《勝利》と《勝利に従う馬たち》を制作18991900イタリアのナポリに生まれる1905-1906191619181921ナポリ大学法学部を中退(卒業試験は済ませたが論文19221927すでに親交のあったトリノの自由主義運動家ピエロ・1929リオネッロ・ヴェントゥーリ、リッカルド・グアリー1930バルディの画廊がギリンゲッリ兄弟に渡って「ミリ1931ルーチョ・フォンターナとアドリアーノ・スピリンベ1932フォンターナによる《ジュゼッペ・グランディ記念噴水のための模型(31A1)》についての批評を『ラ・カーサ・ベッラ』1月号に執筆1月号のトッリアーノの報告を補強する形で、フォンターナの個展に出品された《勝利(30A5)》について 8月号に執筆1934イタリア航空博覧会において、ジュゼッペ・パガーノとともに組織責任者をつとめ、〈金メダルの間〉を手がける『リターリア・レッテラーリア』紙にフォンターナについての記事を執筆(8月4日)1935夏に一時期拘留される1936 本年表の制作には以下の文献を参照。Crispolti, Enrico; et al., a cura di, Lucio Fontana: Catalogo raggionato di sculture, dipinti, ambientazioni, Tomo II, Milano: Skila, 2006; Ponteggia, Elena, a cura di, Il Milione e l’astratismo 1932-1938: La galleria, Licini, i suoi amici, exh. cat. (Milano: Electa, 1988); Ponteggia, Elena, a cura di, Persico e gli artisti 1929-1936, exh. cat. (Milano: Electa, 1998); Veronesi, Giulia, a cura di, Edoardo Persico. Tutte le opera (1923-1935), Tomo II, Milano: Edizione di Comunità, 1964; Ciucci, Giorgio, Gli architetti e il fascismo, Torino: Einaudi, 1989(ジョルジョ・チゥッチ著/鹿野正樹訳『建築家とファシズム イタリアの建築と都市1922-1944』鹿島出版会、2014年);北川佳子『イタリア合理主義 ファシズム/アンチファシズムの思想・人・運動』鹿島出版会、2009年。

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