⑶ 入札目録のみに確認できる作品は、次の作品番号で佐々木丞平・佐々木正子編『古画総覧─円山四条派系1』にも掲載されている:《月夜山水図》:No. 2979、《山水図》⑴:No. 1169、《山水図》⑵:No. 3276、《韓愈雪行図》:No. 1116、《雪景山水図》:No. 1836。佐々木丞平・佐々木正子編『古画総覧─円山四条派系1』、国書刊行会、2000年。⑷ 前掲注⑴、pp. 144-145。唯一気にかかる点は、落款の「應」と画数である。応挙は、「應」の第六画をほとんど例外なしに省略する。しかし、《江州日野村落図屏風》の落款にこの字は、最後の第十七画まで標準の画数を守りながら丁寧に書いている。応挙の落款印譜を参照しても、それは安永3年(1774)の《孔雀図》と寛政3年(1791)の《人物に竹図》を除いて見当たらない。源豊宗編『円山応挙画集』、京都新聞社、1999年、No. 167とNo. 555を参照。⑸ サンフランシスコ・アジア美術館蔵の《月夜水村図屏風》は、一隻しかないので、左方の比較⑹ 木村重圭「展覧会評 円山応挙による円山派の粉本と創作と活用」『美術フォーラム21』10-夏、⑺ 佐々木丞平・佐々木正子編『古画総覧─円山四条派系3』、国書刊行会、2000年、p. 1166、作品番号No. 4502。源琦の作品は、応挙筆の《四季山水図屏風》と同様に二双屏風となっているが、源琦の場合に秋季と冬季に当たる二隻は、応挙筆の《四季山水図屏風》のそれと別な構図に基づいている。⑻ 高井琮玄編『円山派下絵集:屏風・襖絵』、光村推古書院、1997年、pp. 19-25。 高井琮玄編『円山派下絵集:山水・草木』、光村推古書院、1997年、p. 41。⑼ 前掲注⑵に同様。⑽ 前掲注⑴に同様。⑾ 古事類苑刊行会『古事類苑』地部1、吉川弘文館、1970年、pp. 1152-1153。昭和5年の洋装本⑿ 前掲注⑴に同様、p. 54。⒀ 文人世界における雅俗のダブル・イメージの問題について、佐藤康宏「雅俗の都市像─与謝蕪村筆「夜色楼台図」」が詳しい。佐藤康宏編『講座日本美術史』第1巻、東京大学出版会、2005年、pp. 299-326。応挙の「唐画師」の江戸時代の解釈に関しては、伊藤紫織「江戸時代中期京都の「唐画」」『採蓮』第13号、2010年、pp. 11-21を参照。⒁ 安永拓世「文芸とのかかわり」金子信久編『円山応挙』(別冊太陽 日本のこころ205)、平凡社、⒂ 源豊宗編『円山応挙画集』、京都新聞社、1999年、No. 229。ここで使用されている「源孟彪」は、⒃ 前掲注⒁に同様、No. 593。⒄ 今中寛司「『妙法院真仁親王御置日記』に現れた写生派絵師たち」『文化学年報』23/24合併号、はできない。2004年、pp. 130-131。版をもとにした2度復刻であるが、大正元年の和装版が初版。2013年、pp. 155-156。高芙蓉の別名であった。1975年、p. 24。― 488 ―
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