鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
503/550

2.2014年度助成①村山知義のモダニズム─1922年滞欧活動の軌跡にみる前衛美術交流の国際性─研 究 者:神奈川県立近代美術館 主任学芸員  三本松 倫 代1.はじめに造形美術、ダンス、デザイン、建築、文学と評論、子供向けの挿画や映画・演劇まで、1920-30年代の東京で多様な領域における前衛運動を牽引した村山知義(1901-1977)。みずから沸騰と形容したその跳躍は、1922年の渡欧体験のなかでベルリンを拠点に摂取した古典と近代の諸芸術を燃料として達成されたものだった。大正期の新興芸術と村山のベルリン時代の足跡を含む研究は、村山の自叙伝を基に(注1)、『大正期新興美術運動の研究』(スカイドア、1995年;改訂新版1998年。以下「五十殿1998」と略記)に代表される五十殿利治の浩瀚な調査や、五十殿や滝沢恭司ほかによる『大正期新興美術資料集成』(注2)などによって詳細な検証が重ねられてきた。一連の先行研究を踏まえ、筆者を含む村山知義研究会が制作した「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」展(神奈川県立近代美術館ほか巡回、2012年)では同時代の海外作家/雑誌と村山の国際的な連関性を概観した。本研究は、同展の成果に関する補遺として、村山知義のベルリン滞在期について新たな視点を提示することを目的とする。今回の助成により、村山のベルリンでの個展会場に関するベルリン市公文書館、プロイセン文化財団中央アーカイヴ、クルト・シュヴィッタースアーカイヴでの調査、および帰国後に刊行した『マヴォ』に関するプロイセン文化財団ベルリン国立図書館、同・美術図書館での調査ほか、各国諸機関のデジタルアーカイヴをオンラインで調査した。2.村山知義とベルリン、1922年:トワルディから明治34(1901)年に東京で生まれた村山知義は、内村鑑三に師事した母の影響でキリスト教や西欧風の文化に親しむ幼少期を送った。1921年に東京帝国大学文学部の哲学科に入学するが、原始キリスト教研究を留学の名目として大学を中退し、翌年1月にベルリンへ向けて横浜を発つ。2月の到着後に進学は放棄し、前年に渡独していた友人の和達知男(1900-1925)を先導役に劇場や画廊、書店を巡り、アーキペンコやカンディンスキー、クレーなど― 492 ―

元のページ  ../index.html#503

このブックを見る