鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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一の区画および居住者が確認できることから、トワルディ書肆美術が入居していた建物である可能性が高いものとして、地図の画像とあわせて紹介する〔図3〕。一方、ベルリン市公文書館に保管されているシャーロッテンブルク地区裁判所(Amtsgericht Charlottenburg)所管の商業登記簿関連資料に、「H.R.A./ Nr.53652」として登録されていた「K&E.トワルディ書肆美術 Buch und Kunstheim K & E. Twardy」の文書ファイル(現在の資料番号はA Rep. 342-02/ Nr.: 34348)がある。現時点で判読できていない箇所もあるが、トワルディ書肆美術は1919年5月19日にプロイセン領ツォポット(Zoppot, 現在のポーランド領ソポトSopot)で、ともにツォポットのケーテ・トワルディ Käthe Twardyとエマ・トワルディ Emma Twardyによって開業し、同年5月31日にBuch und Kunstheim K & E. Twardyの名称で同地に商業登記されている。1920年4月1日にベルリンのポツダマー通り12番に支店として書肆兼美術商(Buch- u. Kunsthandel)を開業。1926年にはベルリンの店を唯一の所在地として、ケーテが事業を離れ、エマが単独所有者となった。ティルピッツウーファ46番(Tilpitzufer 46)のトワルディ書肆美術が1933年2月1日に営業停止しているのを理由に登記簿からの削除を要請するベルリン商工会議所から地区裁判所に宛てた1937年3月2日の文書(宛先不明によりクニプローデ通り10番のエマ・トワルディが照会されている)と、これに伴う事務処理費用の請求に対して、エマは無資産証明書の提出による支払の延期を1937年5月7日付の地区裁判所宛葉書で願い出ている。同年8月23日付でトワルディ書肆美術が消滅している旨を走り書きのような筆致と書式で届け出たエマの手書き文書と、同日付で出された商業登記簿からの削除指示書でファイルは終わっている。一連の文書におけるエマ・トワルディの住所はクニプローデ通り10番(Kniprodestr. 10)となっており、ベルリン中央・地方図書館がデジタル化しているベルリン市の住所録(注6)によれば、1917年版にクニプローデ通り10番のエミー・トワルディ Emmi Twardyの名前がKontoristin(事務員)として初めて記載される〔表1〕。住所録には個人や店の情報が氏名順と街路/建物番号順の一覧にそれぞれ掲載され、1918年版と1919年版でKorrespondentin(通信員)と職名を変えたのち、1920年版から書肆業(Buchhdl.)を名乗るエミー・トワルディは1921年版の氏名一覧で綴りをエマ Emmaと変え、同時にケーテとの連名(Emma u. Käthe)で「書肆及び美術商ほか Buch u. Kunstheim usw.」の情報を追記している。またこの版で、街路一覧のクニプローデ通り10番の項にTwardy, E.&K., Buchhandlerinnenとして書肆業者(複数形)で記載され、ポツダマー通り12番の項にトワルディ書肆美術が初めて登録された。― 494 ―

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