鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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4.おわりにか(シュヴィッタースは5月にデア・シュトゥルム画廊の第108回展を行っており、村山がこれを訪れ、あるいはヴァルデンを介してシュヴィッタースを知った可能性もある)。いずれにせよ、村山が回想するトワルディの「美しい絵」の要請は、それがベルリン滞在初期に描いていた表現派/未来派風の絵か、夏頃から描いた古典技法による肖像画か、あるいは双方であったかの確証がないが、村山や仲田の言う「アンチ・シュトゥルム」だけを理由とはしないだろう。トワルディの展示傾向と、永野との連続個展が持つ意味を併せ見るとき、村山知義の「国際性」はモダニズムとしてのオリエンタリズムの視点から再検証されるべき可能性を帯びる。本研究では未調査だが、2016年春にベルリニッシェ・ガレリーに収蔵されたドイツ語圏の画廊・美術商に関するヴィーンの美術史家ヴェルナー・シュヴァイガー(Werner J. Schweiger)旧蔵資料にトワルディー関連資料が含まれる(ただし村山と永野の個展については該当物がない)旨を同館アーカイヴより教示されており、これを含めて今後の課題としたい。1923年の帰国後、6月に村山が結成したグループ「マヴォ Mavo」は、宣言や展覧会に続き1924年7月に同名の雑誌を発刊(注13)、20世紀新興芸術の国際性の指標として近年注目される「芸術雑誌の相互広報」に極東から参加した希少な例となる(『マノメートル』1号(1922年7月)の雑誌欄に北京の『中国 La Chine』が掲載されているが、発行人はフランス人のAlbert Nachbaur)。海外雑誌に掲載・紹介された『マヴォ』の例と、『マヴォ』や村山の著作に訳出/転載された海外文献・図版に関する滝沢恭司の詳細な先行研究(注14)に基づき、今回『マヴォ』に紹介された海外雑誌との相互掲載について補遺調査を行った〔表2〕。その考察の場は別稿となるが、『マヴォ』発刊に先立つ1923年8月の『ノイ』掲載例(注15)のように、村山のモダニズム理解とその伝播について、引き続き広範な国際的調査を行う必要があるだろう。調査にご協力いただいた以下の方々に御礼申し上げます。/ Dank für die großzügige Unterstützung: 滝沢恭司氏(町田市立国際版画美術館), Frau Anja Borawski (Zentralarchiv, Staatliche Museen zu Berlin – Preußischer Kulturbesitz), Herr Philip Gorki (Berlinische Galerie), Frau Dr. Isabel Schulz (Kurt Schwitters Archiv/ Sprengel Museum Hannover)― 498 ―

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