鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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注⑴ 竹内久一の大作彫刻については、以下の研究がある。 ①吉田千鶴子「竹内久一レポート─岡倉天心の彫刻振興策と久一」『東京芸術大学美術学部紀 ②浅井允晶「竹内久一の「伎芸天」をめぐる二・三の問題」『阡陵』昭和57年5月。 ③横溝廣子「シカゴ世界博覧会出品の日本の木彫について─竹内久一と石川光明の作品の位置付け」『竹内久一と石川光明─明治の彫刻』図録、東京芸術大学大学美術館、平成14年(『アートライブラリー』4号、平成15年3月に改稿再録)。 ④長澤市郎編『明治期木彫像の技法調査および保存方法の研究 竹内久一作「伎芸天像」を主 ⑤『特別展観 仏を観る』図録、東京芸術大学、平成15年。⑵ 仏像模刻事業については、以下の文献を参照。 ①佐藤昭夫「明治中期における博物館の彫刻模造事業について」『東京国立博物館研究誌』277 ②『模写・模造と日本美術 うつす・まなぶ・つたえる』図録、東京国立博物館、平成17年。 ③浅井和春「明治仏像模刻論 岡倉天心の模造観の形成」『国華』1400号、平成24年6月。⑶ 竹内久一「木彫を志せる動機と奈良行の顛末」『書画骨董雑誌』47号、明治45年4月。久一の奈良遊学については、加納鉄哉「故竹内久一氏と私」(『絵画清談』4巻10号、大正5年10月)、浅井允晶「加納鉄哉の「一時遊戯之墨痕」」(『日本美術工芸』497号、昭和55年2月)参照。⑷ 前掲、吉田「竹内久一レポート」。⑸ 田中修二「日本美術史の古代憧憬─岡倉天心と荻原守衛」(佐伯有清編『日本古代中世の政治と文化』吉川弘文館、平成9年)。同様の指摘は、沓沢耕介「研究発表〈要約〉明治二十年代における竹内久一の制作活動とその背景」(『近代画説』8号、平成11年12月)にもある。⑹ 古田亮「国家と彫刻」、東京国立近代美術館ほか企画監修『日本彫刻の近代』図録、淡交社、⑺ 竹内久一「皇祖御立像製作の感想」『日本及日本人』530号、明治43年4月。同「先帝陛下と神⑻ 《神武天皇立像》には、近代の日蓮主義運動を牽引した在家仏教指導者・田中智学の示唆が考えられる。日蓮主義については、大谷栄一『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館、平成13年)が詳しい。久一は、智学の組織した立正安国会(のち国柱会)会員であり、智学『仏教夫婦論』(立正安国会本部、明治27年)では明治天皇を「民称シテ以テ第二ノ神武聖帝ト為ス」と述べ、神武天皇と明治天皇を同一視する思想が垣間見える。なお、この文言は《神武天皇立像》の制作後であることに留意しなければならない。神武天皇・明治天皇のイメージ形成については、千葉慶「近代神武天皇像の形成─明治天皇=神武天皇のシンボリズム」(『近代画説』11号、平成14年12月)参照。⑼ 岡倉覚三「第二類 彫刻 木竹彫刻概論」『第三回内国勧業博覧会審査報告 第二部』第三回⑽ 新聞『日本』の懸賞募集自体、天心の関与が指摘されている。前掲、吉田「竹内久一レポート」、⑾ 置物・人形の評価変遷については、大熊敏之氏の諸論考を参照。 ①大熊敏之「近代置物考」『近代日本彫刻の一潮流─保守伝統派の栄光』図録、宮内庁三の丸要』16号、昭和56年3月。とした』東京芸術大学、平成14年3月。号、昭和49年4月。平成19年、66頁。武天皇」『書画骨董雑誌』52号、大正元年9月。内国勧業博覧会事務局、明治24年、19~20頁。13頁。― 40 ―

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