②大熊敏之「彫塑と工芸のはざまで─明治期の牙彫置物」『日本の象牙美術展─明治の象牙彫 ③大熊敏之「もうひとつの日本近代「美術」史─美術と美術ならざるものの狭間で」『細工・ ④大熊敏之「近代日本の立体像の諸相─置物と彫刻と人形と」『近代日本の置物と彫刻と人形⑿ 新村出編『広辞苑』第六版、岩波書店、平成20年。⒀ 前掲、大熊「近代日本の立体像の諸相」、8頁。⒁ 日高薫「つくり物・置物・美術」『国立歴史民俗博物館研究報告』114集、平成16年2月。⒂ 佐藤昭夫「転換期における仏師の動向─江戸から明治へ」『仏教芸術』180号、昭和63年9月。⒃ 山口昌男『内田魯庵山脈〈失われた日本人〉発掘』晶文社、平成13年。林直輝ほか『おもちゃ⒄ 岡倉天心『日本美術史』平凡社、平成13年、90頁。⒅ 岡倉覚三「明治三十年の美術界」『太陽』4巻1号、明治31年1月、15頁。⒆ 《伎芸天》の現地評価の低さは、「シカゴ大博覧会の審査に於ける本邦人の感情」(『読売新聞』明治26年12月2日)に報じられた。日本美術全般への現地評価については、志邨匠子「一八九三年シカゴ万博における日本美術」『早稲田大学大学院文学研究科紀要別冊 文学・芸術学編』21集、平成7年2月。⒇ 明治31年の天心辞職の際、彫刻科教授陣も一端は同調したが、間もなく復職している。 平櫛田中「売れない彫刻」『芸術新潮』昭和44年11月、154頁。 平瀬礼太『銅像受難の近代』吉川弘文館、平成23年。 岡本明子「竹内久一の明治26年《芭蕉像》制作について」『東京芸術大学大学美術館年報 平 「竹内教授芭蕉翁ノ像二百体ヲ刻ム」『京都美術協会雑誌』15号、明治26年8月、28頁。 日本彫刻会は天心を会頭に戴き、米原雲海、山崎朝雲、平櫛田中らによって結成され、「日本 ①柳沢秀行「近代木彫の一断面─米原雲海・山崎朝雲・平櫛田中の明治三十年代」『東京国立 ②沓沢耕介「日本彫刻会─木彫の受容/需要」、東京文化財研究所美術部編『大正期美術展覧 ③『岡倉天心と日本彫刻会─日本木彫の「伝統」と「革新」』図録、小平市平櫛田中彫刻美術 長沼守敬談、高村光太郎編「現代美術の揺籃時代」『中央公論』昭和11年7月。光雲の開明的思考は、『光雲懐古談』(萬里閣書房、昭和4年)の「脂土や石膏に心を惹かれた話」にも表れている。光雲門下が木彫に西洋の星取り法を採用したのも、師の傾向に起因している。 吉田千鶴子「竹内久一再論」『LOTUS』24号、平成16年3月。久一の号「久遠」と実成舎は、ともに『法華経』の「久遠実成」に拠る。久一の弟子・竹林薫風は、『奈良の一刀彫』(私家版、昭和52年)のなかで、久一が奈良滞在中にも同修舎という塾を開いたと述べている。 実成舎出身の彫刻家は、天岡均一の談話(『大阪時事新報』大正5年9月26日)、海野美盛「故尚蔵館、平成8年。刻を中心に』図録、渋谷区立松涛美術館、平成8年。置物・つくりもの─自然と造型』図録、宮内庁三の丸尚蔵館、平成14年。と─豊饒なる立体像の世界』図録、宮内庁三の丸尚蔵館、平成16年。博士・清水晴風 郷土玩具の美を発見した男の生涯』社会評論社、平成22年。成23年度』東京芸術大学大学美術館、平成25年3月。趣味」的な作風と伝統的な木彫技法による作品を発表した。博物館研究誌』515号、平成6年2月。会の研究』中央公論美術出版、平成17年。館・井原市立田中美術館、平成22年。帝室技芸員竹内久一先生」(『書画骨董雑誌』101号、大正5年11月)に言及がある。― 41 ―
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