ネッリ教授によってティントレット工房における肖像画制作の手順の好例として示された、ドメニコのヴェローナ市立カステルヴェッキオ美術館所蔵の《マルコ・パスクァリーゴの肖像》(2015年に盗難に遭い、本発表の前の週に窃盗団が逮捕され、安全確保)が丁寧な油彩下絵で、それから写された完成作品、衣装部分が工房によって制作された《マルコ・パスクァリーゴの肖像》(ヴェネツィア市立コッレール美術館)の比較から首肯できる。恐らく注文を受けたヤーコポの死(1594年)後に、息子ドメニコ(1560~1635)、そして娘婿が引き継いだ工房で、カルロ・リドルフィが見たのは、このドメニコによって17世紀初めの流行の服飾(特に「ア・トゥーガ」と呼ばれるスペインの大きなひらひら襟)に改変された本肖像画である。ドメニコのサインがないのは、ドメニコがほかの自作にもサインを残さず、父を含む“ティントレット”の商標を重視したからである。ディスカッションでは、東京国立博物館の特別展示担当の瀬谷愛氏から、天正遣欧少年使節の群像肖像画が完成されなかった理由について質問があった。マリネッリ教授の回答は、ヴェネツィア共和国は教皇パウルス5世と教会司法権の問題を巡って激しく争い、1606年カトリック聖務停止命令を出された。このとき、ヴェネツィアに拠点のあった修道会のうち、教皇側に与したイエズス会が、同年にヴェネツィア共和国から追放されたために、イエズス会によって計画された使節である4少年使節の公式絵画は実現しなかったのではないかというもので、説得力をもつものであった。また、ディスカッションの中で、発表者の一人、ジャンジャコモ・アットリコ・トリヴルツィオ氏(トリヴルツィオ財団会長)からのマリネッリ教授および司会者に対して、テキサス大学ブラントン美術館所蔵の同画家の《紳士の肖像》についての調査について質問があったが、予定時間の制約もあり、目下調査中であるとして別の機会に議論することで閉会となった。この件に関しては、司会者が5月21日の東京国立博物館月例講演「ヴェネツィア 1585年」のなかで、同作品に関する最新の調査の途中報告に言及するため、シンポジウム終了後の晩の懇談会のなかで、司会者による最新の調査結果に関しても、トリヴルツィオ氏およびマリネッリ教授と意見交換が行われた。いずれにしても、マリネッリ教授のドメニコ・ティントレットの画業の再検討は、これまで父ヤーコポの名で一括りに語られていたティントレットとその工房の実態に初めて迫る鋭い観察に基づくもので、今後のティントレット研究においてドメニコの肖像画家としての優れた活動を浮き彫りにできることが大いに期待できるという意味で、研究者を大いに啓発する発表であった。― 512 ―
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