であることを指摘した。つまり、そうした「粗描き」はルネサンス期に確立された鏡のごとき写実を否定することで、逆に対象がもつ存在の生々しさを観者に意識させるというバロック特有の感性、「存在のメカニズムを捉える感性」の表出であり、そこにこそバロックの近代性が存するのだという議論である。続く栗田秀法氏(名古屋大学)の報告では、古典主義バロックのプッサンとの関係からベラスケスが論じられた。第1点は、ベラスケスが第1次イタリア滞在中に手がけた2点の物語画、すなわち《ヨセフの長衣》と《ウルカヌスの鍛冶場》をめぐってである。これら2点の人体描写や画面構成等に、ベラスケスのイタリアでの研鑽の成果を認められることは広く認められるところであるが、栗田氏はそこに、同時期にローマでプッサンが確立しつつあったアリストテレスの『詩学』に基づく「悲劇」的な物語画形式の影響を示唆した。第2点は、ベラスケスの第2次イタリア滞在中にプッサンが手がけた2点の自画像と、ベラスケスが帰国後に描いた《ラス・メニーナス》との関連性である。いずれの作品にも画家の地位や絵画の高貴さに言及する共通の要素を見出すことが可能であり、両者の間の直接的な影響関係を立証することはできないとしても、作風のうえではまったく異なる両画家に通底する「高貴な技芸」をめぐる認識の問題は、そのままバロックという時代そのものにとっての一大テーマであるといえる。最後の2つの報告は、近現代におけるベラスケスの受容に関するものであった。三浦篤氏(東京大学)の報告では、マネに対するベラスケスの影響が、当時フランスで流行していた単なるスペイン趣味に留まらない、マネ芸術、ひいては近代芸術の本質に関わるものであったことが論じられた。マネは1865年にスペインを訪れる以前から、模写やモチーフの借用、構図の転用といったさまざまな形で自らの作品にベラスケスを取り入れており、ベラスケスへの傾倒はスペイン旅行後に一層強まる。その後そうした傾向は一見後退するが、後に再びベラスケスに回帰し、晩年の傑作《フォリー・ベルジェールのバー》の矛盾した現実表象の背後には《ラス・メニーナス》の存在が感知される。三浦氏は、マネが「タブローにおける冷徹なリアリズムの頂点」に立つベラスケスの受容を通して、逆説的に、古典的な現実表象を根本から覆し、近代的造形表現を生み出すに至ったと指摘し、両者の関係性のうちにこそ西洋絵画の偉大なる伝統の崩壊と革新の鍵を見出し得ると指摘した。イサーク・アイト・モレーノ氏(慶應義塾大学)は、西洋絵画のあり方が革命的転換を遂げた後の20世紀の画家たちが、いかにしてベラスケスという伝統絵画の巨匠と向き合ったのかを、いくつかの興味深い例を挙げつつ概観した。具体的には、現代に― 525 ―
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