鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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1813~1877)、丹後宮津に住んで同地で没した(結城素明『勤王画家佐藤正持』1944、参照)。この2代文一の確実な作品は知られておらず、両者の遺品が混同されたまま伝世している可能性がないとはいいきれない。今後再検討が必要だろう。○雪山源長(長塩雪山か)「奔馬図」 紙本墨画 1幅 江戸時代後期太くラフな筆致で白黒2頭の暴れ馬を描いた墨絵。「雪山筆」の款記と「雪山之印」「源長」の2印がある。調査時には3代堤等琳(号雪山)あるいは広渡雪山の作品ではないかと推測していたが、帰国後、両者の落款と比較してみると合致せず、他の「雪山」を探してみた結果、どうやら出雲の画家である長塩雪山(1774~1833)のサインにもっとも書風が近似する。この雪山は京都生まれの狩野派画人で、名は義明、号は季信といい、出雲母里(もり)藩のお抱え絵師であった。印文「源長」は本姓を源氏とする長塩氏という意味ではなかろうか。今後さらなる資料収集につとめたい。9月14日(月) リートベルグ美術館(チューリッヒ)で日本絵画16件を調査した。スイスでもっともすぐれた日本美術のコレクションであり、当初は9月12日も同美術館で調査をおこなう予定であったが、担当学芸員の都合によりキャンセルとなった。したがって調査できたのはごく一部にとどまり、屏風などはまったく未調査である。○円山応挙「虎図・墨竹図」 紙本墨画 双幅  江戸時代・1760年頃右幅に半身をのぞかせる虎1頭、左幅に太細2竿の竹を描く。竹林を逍遥する虎という設定だろう。虎の姿態と描法には南蘋派の趣きが色濃く現れている。款記は「皇都圓山主水一號夏雲」という珍しいもので、印は白文方印「平安人氐印字仲均」と朱文方印「夏雲」を捺す。2印とも木村重圭氏作成の落款印譜(兵庫県立歴史博物館「没後200年 円山応挙展」図録 1994)に所収のものと一致した。木村氏は同印を20代中頃から30歳前後の使用印と推定されており、円山応挙(1733~95)の数少ない若描きとして貴重な作品である。○長谷川主殿「柏鷲図」 紙本墨画 1幅  江戸時代前期・17世紀画面左横に朱文方印「長谷川主殿」と朱文円印「正□」が捺されている。この画家の遺品としては妙心寺隣華院所蔵「架鷹図屏風」6曲1双が知られるものの、正体不明の逸伝画家である。従来は長谷川等伯系統の画人かと推測されてきたが、本図に見える垂直に立ち上がる柏樹や、ややとぼけた雰囲気の鷲の表情は曽我二直菴に通じる― 530 ―

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