鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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9月15日(火) ヌーシャテル民族博物館で日本絵画2件を調査した。同館所蔵の日本絵画は、ヌーシャテルで没したスイス人外交官・エメ・アンベール(1819~1900)の個人コレクションが主体であるが、その大部分は『北斎漫画』などの刊本を1図ずつ切り取ってシートに貼ったものであった。ところがあり、鷹を得意とした曽我派系統の画家であった可能性も考えられる。○長谷川雪嶺「四十三国人物図巻」 紙本著色 1巻 江戸時代後期・18世紀末~19世紀西川求林(如見)が長崎で得た海外情報をもとに刊行、流布した『四十二国人物図説』《正徳4年(1714)序・享保5年(1720)刊》にもとづいて描かれた万国人物風俗図巻。原本にあった各国の説明は省略されている。「大明」「大清」からはじまり「長人」「小人」で終る掲載順序は、本図において「東京(トンキン)」と「答加沙谷(タカサゴ)」が入れ替わっている以外は一致する。さらに本図では、題簽に「異國人物四十三國圖」と記されているとおり、原本にない「咬(口+留)吧(ジャカタラ)」の図が30番目に挿入され、総計43国となる。インドネシアのジャカルタは長崎へ往来するオランダの植民地であったため、オランダ人の姿で描かれている。この「咬(口+留)吧(ジャカタラ)」の図像は、肉筆画で林道栄(1640~1708)の題跋をもつ伝渡辺秀石筆「十二国人物図巻」(歸空庵コレクション・板橋区立美術館寄託)と同一であり、別系統の万国人物図からの流用であることがわかる。また、版本『四十二国人物図説』では彩色や衣服文様が施されていないことからも考えて、別に何らかの肉筆画原本があったのだろう。図巻冒頭の見返し部分には雪舟様式による水辺山水図が描かれ、右隅上端に白文長方印「雪舟末裔長谷川氏」を捺す。また巻末に落款があり「雪舟十三画傳長谷川雪嶺」と記し、白文方印「長谷川」と朱文方印「宗伯之印」を捺している。この雪嶺は、『江戸名所図会』の挿絵で名をあげた長谷川雪旦の師(あるいは親?)として知られる程度の存在であるが、帰国後の検索により墓碑が現存することを知ったので、急ぎ葛飾区高砂の崇福寺を訪れ、掃苔をおこなった。墓碑正面には「雪舟十三世 自得菴法橋雪嶺居士 天保元庚寅年十二月廿三日」、右側面に「宗伯信隆墓 長谷川氏」と刻まれており、没年は天保元年(1830)であることが確定した。同寺は関東大震災までは浅草田原町に所在し、代々雪舟末裔を標榜して続いた江戸長谷川派の菩提寺であるらしく、今後もさらに調査を継続していく必要があろう。― 531 ―

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