鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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⑤近世前期における「平家絵」の生成と受容はじめに物語の享受においては、テキストの絵画化もその大きな側面と言える。例えば、『源氏物語』や『伊勢物語』といった王朝文芸は物語の成立から経ずして絵画化が始まり、その後近世を通じて様々な媒体で源氏絵や伊勢絵が描き続けられている。『平家物語』に関しては、そもそもテキスト自体が琵琶法師らによる“語り”によって徐々に形成されてきたため、いつをもって物語の完成と見なすかは意見の分かれるところであるが、その絵画化である平家絵は、文献の上では遅くとも15世紀には制作が確認できる。さて、今日『平家物語』として流通している本文は全12巻の構成である。現存する近世の平家絵は、①テキストの展開に沿って物語を絵画化しようとするもの、②各巻から一場面ずつエピソードを抜き出して描いたもの、③複数のエピソードを描いたもの、④合戦シーンに特化したもの、⑤一図に一場面を描いたものがあるが、圧倒的に④⑤の作例が多い(注1)。本研究で考察するのはこれらの内の④、すなわち合戦図としての平家絵である。その大半は右隻に巻9の一の谷合戦、左隻に巻11の屋島合戦を描く「一の谷・屋島合戦図屏風」で、17世紀以降数多く制作されてきた。これらは一般的には類型的と見なされるが、既知の作例に追加して見渡したときに、一つ一つ特質を有していることに気づかされる。一方で、現存の「一の谷・屋島合戦図屏風」には、同じ系統と思しき作例群も存在する。それは、京都・智積院が所蔵する「一の谷合戦図屏風」(以下、智積院本)とほぼ同じ構図を持つ一群で、代表的なもので東京・天真寺蔵「一の谷・屋島合戦図屏風」(以下、天真寺本)、大英博物館蔵「一の谷・屋島合戦図屏風」(以下、大英本)、宇和島伊達文化保存会蔵「一の谷・屋島合戦図屏風」(以下、宇和島本)が挙げられる。しばしば“智積院本系統”と称されるこれらの屏風は、点景の合戦描写が増えて雑多な印象となっていく他の作例に比べ、まるで絵師が物語を理解しているかのように各エピソードが明確に描かれていることから、「一の谷・屋島合戦図屏風」の中でも初期の作例と位置付けられてきた。しかしながら筆者は、この系統を単なる初期作例としての位置づけに留めてしまうのではなく、比較的早い段階で成立しながら繰り返し制作され、まるで粉本のように流布していた“型”であったのではないかと推測―同系統の「一の谷・屋島合戦図屏風」をめぐって―研 究 者:学習院大学 史料館 助教  柳 澤 恵理子― 46 ―

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