原兄弟の先陣争い〉を見てみよう。智積院本系統においては、兄が敵の館に向かって弓を引き弟が逆茂木を乗りこえる描写と、負傷した兄を弟が背負って退却していく描写の2つのパターンがあるが、大英本と善徳寺本は両方とも後者を選択している〔図4〕。また、大英本では右隻第4扇、善徳寺本では第5扇に、古井戸の中で組み合う3人の武士が描かれていることに注目したい〔図5〕。これは、『源平盛衰記』における平業盛の最期を記述した文、すなわち「…常陸国住人泥屋四郎吉安ト組テ落、上ニナリ下ニ成コロビケル程ニ、古井ノ中ヘコロビ入テ…」(注7)に即していることは既に指摘されているが、智積院本系統の中では両作例にしか見られない図様である(注8)。更に、大英本には「平治物語絵巻」六波羅合戦巻(東京国立博物館蔵)から図様が転用されていることも知られており、右隻第4扇中頃の兜を後ろから掴まれて馬上で後ろ向きに倒れる平経正の図様がそれに該当する。こうした図様もそのまま善徳寺本の同場面に用いられているのである。その他、平家方の武将の様々な死や捕縛の描写も細かいところで一致している。左隻にも注目しよう。大英本では第6扇、善徳寺本では第8扇上部に、〈大坂越〉というエピソードが描かれている。これは、義経一行が屋島にいる平家軍を攻めるために山道を越えていた頃、平家方の文の使者を捕らえて情報を聞き出すという場面である。智積院本系統に共通して見られる場面であるが、文の使者の描き方に2つのパターンがある。一つは、使者が義経一行に対して左手を挙げて会話をする様子であり、これは使者が山道で義経に遭った際、敵方だと疑わずに話してしまう場面を絵画化したものである。もう一つは、使者が義経一行に後ろ手を縛られ、捕らわれる場面である〔図6〕。智積院本系統の中では、大英本と善徳寺本のみ後者の描写を選択しているのである。その他、大英本善徳寺本ともに第2扇上部に配されている〈弓流〉では、黒馬に乗った義経が鞭でもって弓を手繰り寄せようとする様子が描かれているが、義経が手にしているものが“鞭”というのも、智積院本系統では両作例のみの選択である。このような図様の一致・選択から、両作例は非常に近い存在であると言えよう。なお、大英本が六曲一双、善徳寺本が八曲一双であること、また、前者が縦155.3センチに対し、後者が縦94.0センチと、大きさにおいて明らかな違いがあることは以前にも指摘した(注9)。善徳寺本は大英本をそのまま八曲の形態に引き伸ばしたかのようで、大英本よりも画面の余白に余裕が感じられる。また、両作例の右隻第一扇に描かれている源氏の軍勢が大英本では半分に切れてしまっているのに対し、善徳寺本では全体の軍勢が描かれている。こうした点から善徳寺本は、大英本には無い部分を伝える貴重な作例であると言える。― 48 ―
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