熊手で引っ掛けられるという典型的な図様であるが、熊手を持つ武士の隣に両の掌を前に突き出す武士を描くのは、智積院本系統の中では宇和島本とメット本のみである(注14)。また、右隻第3扇上部の〈坂落〉における弁慶が、坊主頭に白鉢巻姿というのも、両作例のみの特徴である。左隻では、第2扇上部の〈弓流〉において、義経が海上に漂う自らの弓を“熊手”でもって引き寄せる描写や、第3扇下部の〈嗣信最期〉において、菊王丸が岸に上陸しつつも足に矢を受けて地面に手をついている様子など、細かいところまで一致している。このように、両作例はエピソードの描写、人物のポージング、モチーフの配置が一致していることを確認することが出来た。一方で、メット本が、宇和島本に比べて簡略化されている部分が多いことを指摘しておきたい。それは、同場面において描かれる人物の数が1~2人減少していたり、人物の所持する武具が少なくなっていたり、人物が履物をはいていなかったりする点で、一見気づきにくい部分である。例えば、宇和島本の右隻第1扇下部に見られる〈河原兄弟の先陣争い〉は、一人が逆茂木の上に足をかけて弓を引き、もう一人が左手に弓を持って後ろから駆けよってくる描写である。メット本も全く同じ描写であるが、後ろから駆けよってくる人物は弓を持っていないのである。ところが、まるで弓を持っているかのように、左手が拳の形になっていることに気づかされる。その他にも、宇和島本右隻第2扇中頃の門付近に、右手で持った弓を杖のようにして両足をつく徒歩武者が描かれているが、メット本における同場面の人物は、やはり弓を持っていない。それにも拘わらず、何かを持っているかのように、右手が拳の状態で宙に浮いたままという不自然なポーズになっているのである。このことから、両作例には“原本”となった作例が存在し、それを元に同じような作例が繰り返し作られている内に、少しずつ簡略化が進んでいったのだと考えられる。つまり、宇和島本が簡略化された形がメット本なのである。弓の得意な河原兄弟から弓が消えてしまっていることなど、メット本の絵師はあまり物語を理解せずに制作した可能性がある。また、両作例は絵師の手が全く異なり、モチーフの描き方や著色の具合から見て宇和島本の方が上手である。絵師のレベルが異なる両作例が原本を同じくしているというのも、あらゆる階層の享受者、または絵師に智積院本系統作例が広く流布していたことを想像させる。宇和島本については様式の検討なども含めて、引き続き考察していきたい。以上、簡単ではあるが、大英本と善徳寺本、宇和島本とメット本を比較しそれぞれの近似性を確認してきた。最初に述べたように、これまで初期作例として位置付けら― 50 ―
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