鹿島美術研究 年報第33号別冊(2016)
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⑥宋人における唐代山水画の認識―王維、李思訓を中心に―研 究 者:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程  林   慧 怡はじめに蘇軾(1036-1101)は王維、李思訓の山水画について次のように述べている。「唐人王摩詰、李思訓之流、画山川峰麓、自成変態。雖蕭然有出塵之姿、然頗以雲物間之、作浮雲杳靄与孤鴻落照、滅沒于江天之外、挙世宗之、而唐人之典刑尽矣。」(注1)蘇軾は、王維、李思訓の山水画は唐代の典型であったとする。この蘇軾の言葉には宋人の見方が反映されており、王維と李思訓は、宋人にとって唐代山水画の代表的な画家であったと言える。そして、画史などの文献と宋人の筆記によれば、いくつかの宋代画家の画風は王維や李思訓に繋がっていることが分かる。例えば、職業画家の范寬、宮廷画家の高克明、文人画家の燕肅、李公麟、宗室画家の趙令穰などは、王維あるいは李思訓の画風を学び、王、李に並ぶほどの画家であったと言われている(注2)。一方、北宋の書画家かつ鑑蔵家の米芾(1051-1107)はその著作の『画史』に、当時流布していたいわゆる王維と李思訓の絵画には偽物が多いという記述をいくつか残している。換言すれば、宋人が認識していた王維、李思訓の山水画における画風が、実際に当人たちのものであったとは言い切れないのである。もっとも、当時流布していた王維、李思訓の山水画には、王、李の真筆、唐代絵画、南唐と蜀で制作された作品が含まれており、これらの作品はいずれも唐代の画風を伝えるものである。山水画の画風は、唐代末から宋代にかけて維持されたものと変容したものがあり、それらについて一層の究明を行うためには、唐代山水画に対する宋人の認識、とりわけ王維と李思訓の山水画作品に対する認識についての検討が必要だと考えられる(注3)。一、李思訓の着色と王維の水墨唐代の山水画は着色画が主流であり、李思訓は当時着色画をよくした画家のひとりに過ぎず、着色画を得意とするという点で、唐代において称賛されることはなかった。王維は後世には水墨山水画家として評価されるが、彼の絵画の多くは、着色画であったと考えられる(注4)。『歴代名画記』の作者張彦遠は王維の破墨山水を実見し、「余曽見破墨山水、筆跡勁爽」(注5)と述べている。評価は悪くないが積極的な賞賛ではない。張彦遠は李思訓と王維に優劣をつけていないが、晩唐の朱景玄はその『唐朝名画録』の中で李思訓を「神品下」に格付けし、「国朝山水第一」と高く評する一方、― 57 ―

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