つ詩があり(注17)、画名から、この李思訓画に描かれたのは長江の風景であったと容易に想像できる。さらに詩の冒頭で「山蒼蒼、江茫茫、大孤小孤江中央」と詠じられていることから、主題としたのは南方の大孤山(現在の江西省鄱陽湖に位置する)と小孤山(現在の安徽省宿松県の長江流域に位置する)であることが分かる。また、中段には「沙平風軟望不到」という詩句があり、平遠の江湖景色を描いた山水画であると想像できよう。もっとも、この「長江絶島図」に描かれるのは実景の大孤山と小孤山とは限らず、蘇軾が大孤山と小孤山のイメージを作品に付与した可能性もある。しかし、米芾の記事によれば、蜀人の着色画が李思訓画とされる事例は少なからずあったのである。蜀は南唐と同様に多変多様なる地形をもつ南方の地である。このことからも、「長江絶島図」が南方の風景、特に蜀の風景を描いていたということを想定しうるのではなかろうか。さてここで、唐代の山水画風を見てみよう。敦煌莫高窟の323、320、172窟の盛唐壁画〔図3、4、5〕はいずれも広い水面を表現する江湖の景色である。また、伝李思訓「江帆楼閣図」(台北故宮博物院蔵)〔図6〕は後世の模作であるが、唐代の着色山水画風を伝える作品と広く認められている。この作品は元々屏風の一部であり、伝展子虔「遊春図」(北京故宮博物院蔵)〔図7〕と同じ構図の底本による模本だと推測される(注18)。即ち、「江帆楼閣図」の構図は一部が欠落しており、元来は「遊春図」のように画面の両側に山が立ち、中央に広い水面を描いていたと思われる。この推測の正否はさておくとして、「江帆楼閣図」と「遊春図」の空間構成はそれぞれ莫高窟の320、172窟の盛唐壁画に似通っている。換言すれば、江湖景色の表現は盛唐山水画の一つの様式だと考えられるのである。唐代絵画は長江流域に位置する南唐と蜀でそれぞれの地方色にあわせ引き継がれていった。そして江湖の景色を表現する唐代山水画の様式は、南方の南唐と蜀において一層の発展を見せた。これは、宋代に流布していた王維と李思訓の山水画に南方的な江湖景色が描かれていたことが、その大きな要因と考えられよう。三、小景画小景という言葉は北宋後半に現れた、大観山水に対する語句である。北宋末の王庭珪(1079-1171)が、小景画として有名な趙令穰の山水画に題した跋文には次のような内容がある。「大年、貴公子也、而喜作江湖山林、人物窠窟。画平林遠水、鳬雁晩景、使人一見如行江南、断岸水落石出、沙鳥容与波上、若欲驚起、此豈規規積水墨所能至邪。世言大年得王摩詰、李思訓、江都王之典刑、故無画工気、信哉。」(注19)趙令穰― 60 ―
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