ルーヴェールの制作態度は、ここでは単純な過去の模倣ではなく、手法の熟達に役立てられているのだと断定されているが、この論理展開は正にアポリネールとデヴァリエールが指摘したマティスの制作姿勢と重なり合う。ゴルベールのプリミティヴ芸術の研究は1895年における著作『科学の反道徳性』における「アフリカ芸術」の人類学研究からはじまるが、1901年の「ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ」の論考においてイタリアのプリミティヴ芸術との近似性を説き、同時代芸術とプリミティヴ芸術の接近を見出した(注19)。こうした時系列にとらわれない造形上の近似性を説くゴルベールの姿勢は、マティス作品の簡略化された形態を、プリミティヴ芸術の美学を引き入れながら理解しようとするアポリネールやデヴァリエールの解釈へと還元されているのである。⒝ 「再現的」正確性の放棄と造形要素の体系的使用さて、アポリネールの「マティス論」が発表された一年後、マティスは自身の手による芸術論「画家のノート」を刊行する。ルーヴェールによればこの「画家のノート」は、ゴルベールの『線の倫理』と兄弟のような精神に基づいて執筆されているとされ、その指摘どおりゴルベールの芸術理論におけるキーワードと重なる部分が見受けられる(注20)。同論考おいてマティスは自身の芸術的信条の一つとして文字通りの再現性への放棄を挙げている。一つ一つ解剖的な正確さで描写したり、顔立ちのあらゆる細部にこだわるようなことはしない。(中略)私はモデルの本質的な特徴を見出し、顔の線のなかで、どの人間にも存在する非常に厳粛な性格を表している線を洞察するのである。(注21)以上の言葉は、『線の倫理』における変形を基礎とした芸術、「線的ヴィジョン」と一致しており、再現性とは異なる次元の「正確さ」の探究を担うのがルーヴェール同様、線によってなされているという点で注目に値する。というのも再現性とは別の目的で探究される線は、正にマティスのデッサンにおける独自の表現の追究と重なり合うからだ。その独自の理論は1908年の「画家のノート」発表と同時期に開講していた自身の画塾の講義内容において遺憾なく発揮されている。― 72 ―
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