憶えておきなさい。一本の線は単独では存在し得ない。いつも相手を連れてくるものです。忘れてはならないのは一本の線だけでは何も表現しないということだ。それは別の線と関係してはじめてヴォリュームを創るのです。(注22)この教えからも理解が出来るとおり、画家は画面の構成要素における相互の調和的関係性を重視していた。こうした造形要素の関係性によって画面を構築するやり方は、ルーヴェールのデッサンにおいて見出されたある特質と符合する。我々は暗さから出発して理想へ、つまり我々がこの分析の冒頭以降示してきた図式に近いものへ到達した。すべては垂直線と水平線の関係や傾きでしかないという図式に。(注23)ゴルベールは、線同士の傾きや関係性こそが現代の造形の最重要課題であり、中間色による陰影表現ではなく線の関係性によって陰影やヴォリュームをも示唆しうると説いている。この暗示的な線の使用は、正にマティスのデッサンにおける独自の表現の追究と重なり合っていると言うことが出来る。1906年前後のマティスは線描画〔図5、6〕では、陰を線の肥痩と密度によってヴォリュームを表現している。陰影表現はおおぶりなハッチングによって行われているが、特徴的なのはこの線の間に浮かび上がる面の大きさが色彩の明るさを示唆する、というやり方である。このマティスの表現手法はイヴ=アラン・ボアによってマティス・システムという名が付けられているが(注24)、線同士の関係性の重要視する姿勢はマティスの造形の基盤を成している。このようにしてマティスの造形要素の関係性への追究は、線だけでなく色彩においても試みられ、「画家のノート」で述べられた「あらゆる部分が釣り合う決定的な関係」を目指す姿勢へと繋がっていくのである(注25)。以上二点の造形的特質は、当時のマティスの芸術理論および制作の方法論を支えるものであり、これらを対外的にアピールすることで繰り返されるマティス批判をかわすものとして役立てられた。ゴルベールの芸術理論は、当時批判の対象となっていたマティスの造形的特質を精神的かつ知的な芸術活動として積極的に捉え直す解釈として役立てられていったのである。― 73 ―
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