⑧ナチス時代における「若きラインラント」の画家たちの芸術活動について研 究 者: 北見工業大学 共通講座 准教授 野 田 由美意はじめに1919年、デュッセルドルフで芸術家グループ「若きラインラント(Das Junge Rheinland)」が誕生した。バウハウス、ダダ、新即物主義などが登場したヴァイマル共和国時代、「若きラインラント」もまたこの時代の近代芸術運動の重要な一拠点となったことは、日本ではあまり知られていない。「若きラインラント」はさまざまな立場の近代芸術家が参加した大規模なグループとなったが、その中でも主要メンバーとしては、第一次世界大戦を兵士として経験した世代に属し、そのため戦争を憎み、政治や社会に積極的に関与する芸術を目指す画家が目立った。そのような画家たちは表現主義を継承したリアリズムを表現手段とした。ナチス時代に入り、彼らの芸術は形式的にも内容的にもナチスの奨励する美術の基準に合わなかったため、それを貫いて抵抗するか、それとも順応・迎合するかの選択に迫られた。本稿では「若きラインラント」の運動の軌跡と、そこに所属した画家たちのナチス時代における活動とを取り扱う。まずは「若きラインラント」の誕生とその活動の終わりまでの歴史を振り返る。続いてこの活動に参与した三人の画家:オットー・パンコック(1893-1966)、カール・シュヴェーズィヒ(1898-1955)、カール・ラウターバッハ(1906-1991)が、ナチス時代にいかなる芸術活動を行って生き抜いたのかを明らかにする。また、「若きラインラント」の戦後から現代までの受容史を扱い、その政治・社会との関係の歴史を振り返る。それによって20世紀前半のドイツ美術史に新しい光を当てたい。1.「若きラインラント」:結成から活動の終わりまで「若きラインラント」は1919年2月24日、デュッセルドルフにおいて、法学者で作家のヘルベルト・オイレンベルク、画家のアルトゥル・カウフマン、作家で画家のアドルフ・ウツァルスキーによって設立された。彼らによって1918年に起草された「若きラインの芸術家への声明」では、近代芸術運動の宣言文に一般的に見られるような、一つの芸術的方向性を明示することではなく、むしろ近代芸術のあらゆる方向性を受け入れる寛容さが強調された(注1)。1909年デュッセルドルフで設立された近代美術家グループ「ゾンダーブント」の活動が仲間割れのために短命に終わったことから、それを避けるため、またラインラント・ヴェストファーレン芸術協会の権威と― 77 ―
元のページ ../index.html#88