注⑴Adolf Uzarski, Herbert Eulenberg und Arthur Kaufmann, “Aufruf an die jungen rheinischen Künstler”,1918, in: Am Anfang: Das Junge Rheinland. Zur Kunst- und Zeitgeschichte einer Region 1918-1945,Ausst.-Kat. Städtische Kunsthalle Düsseldorf, 1985, S. 19.⑵Annette Baumeister, “Das Junge Rheinland. Zur Geschichte der Künstlergruppe 1919-1932”, in: DasJunge Rheinland: Vorläufer, Freunde, Nachfolger, Ausst.-Kat. Stadtmuseum LandeshauptstadtDüsseldorf, 2008, S. 9-22, hier S. 9-10.⑸Vgl. Klaus Kösters, “Anpassung – Überleben – Widerstand. Künstler im Nationalsozialismus”, in:Anpassung – Überleben – Widerstand. Künstler im Nationalsozialismus, Ausst.-Kat. StadtmuseumMünster, Lippisches Landesmuseum Detmold, Erinnerungs- und Gedenkstätte Wewelsburg 1933-1945,Städtische Galerie Iserlohn, Museen der Stadt Lüdenscheid, Kunstmuseum Wilhelm-Morgner-Haus⑶ Baumeister, a.a.O., Anm. 2, S. 12.⑷“Boykott der Großen Kunstausstellung 1922 Düsseldorf”, in: Das Junge Rheinland, H. 6, März 1922,ホロコースト記念碑建設の動きとそれをめぐる論争などが、ナチスの問題との関連で印象的である(注28)。この時代の「若きラインラント」への注目はまさにその流れを反映していると言える。そのメンバーの中でも政治・社会に関心をもった芸術家たち、平和を希求しナチスへの抵抗運動を行った、また犠牲となった勇気ある芸術家たちの行動に注目が集まったのである。その後は1996年に再びギャラリー・レマート・アンド・バルト、2008年にデュッセルドルフ市立博物館の二回と(注29)、80年代の熱狂は影をひそめる。だがこの市立博物館の展覧会カタログで特徴的なのは、80年代とは違い、「若きラインラント」を政治的な視点だけで捉えるのではないということである。つまり、より包括的にこの運動がどのような流れをもったのかということに加え、ジャポニスムとの関連など、20年代から40年代までのその他の美術運動との関連性などを追究した、運動の多様性を紹介する内容となっている。おわりに「若きラインラント」ではその創立の時点から、あらゆる近代美術を取り入れる寛容性が提唱された。参加人数も多く、ナチス時代に入って解散を余儀なくされたとしても他の美術運動に比べて10年以上と息が長いことから、その実態はなかなかつかみにくいものではある。ただしこの寛容さこそが運動の豊かさを象徴していると考えられる。また彼らのナチス時代の芸術活動の多様性や戦後の受容の推移は、芸術が社会と密接に結びついているという問題を、改めて私たちに突き付けているのである。Düsseldorf, S. 17-19.― 85 ―
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