受胎告知と降誕の予型として扱われていることから、雅歌によるモチーフとともに「神の子イエスが処女マリアに宿り降誕する」という出来事を示すものとして挿入されたといえるだろう(注16)。さらに中世の動物寓意譚(Bestiarium)に基づく、キリストを象徴するような動物(グループd)が加えられることがある。ペリカンや獅子、不死鳥はキリストと深く関わるモチーフとしてよく知られているが、熊やダチョウなど、一見するとその関連をいぶかしむようなものもある。これらの動物は、一角獣と同様に『フィシオログス』やセビリアのイシドルスが著した『語源論(Etymologiae)』などによって、キリスト教的なシンボルとして解釈されるようになった。様々なテキストを典拠とする、マリアの聖性を示す予型的寓意や象徴は、フランツ・フォン・レッツが著した『聖母マリアの純潔の弁明(Defensorium inviolataevirginitatis Mariae)』にまとめられている。15世紀初頭に成立したこの文献は、上記のような旧約聖書のエピソードやギリシア・ローマ神話を含む歴史的逸話、動物寓意譚などから材料をとって「聖母が純潔であることの証明」を行ったものであり、ここで取りあげられた逸話は「神秘の一角獣狩り」のモチーフと重なる部分が多い(注17)。降誕図を中心に置く《ハルのホイペルガー家奉納画》〔図5〕では、四隅に「モーセと燃える柴」「アロンの杖」「ギデオンの毛皮」「エゼキエルの門」を配し、その間の空間をペリカン、不死鳥、獅子、一角獣が囲むのみならず、外周にも関連する逸話を描いており、『弁明』を図像化した作品ともいえる。しかし、レッツの著作が成立したのは1420年頃と考えられており、『弁明』がすぐに絵画へと影響を与えたというより、この時代に様々な寓意的表現がテキストや図像に集約されていったとみるべきであろう。3)幼子イエス図像の成立しかし、受肉を可視化するような幼子のモチーフ(グループe)は、これまで述べてきた典拠を源泉とするものではないため、この図像は他のものから影響を受けていると考えなければならない。裸体の幼子イエスの姿は、降誕やマギの礼拝などの説話場面でよくみられるが、4世紀の神学者クリュソストムスの記述を元に、マギをベツレヘムへと導く星として描かれることがある(注18)。空中に浮かぶ幼子という表現は、このようなところから生まれてきたのだろう。幼子の姿が受胎告知に描かれるようになったのは、偽ボナヴェントゥーラの『キリストの生涯に関する瞑想(Meditationes vitae Christi)』で、聖母マリアの子宮に着床し― 90 ―― 90 ―
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