鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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ない(注24)。4)「神秘の一角獣狩り」の幼子イエス「一角獣狩り」図像そのものよりも成立が古い、受胎告知場面での幼子イエスは、「神秘の一角獣狩り」にどのような形で取り入れられていったのか。本研究で確認できた47点の受胎告知を示す一角獣狩りのうち、幼子イエスを伴うものは25点あった。その数は主要な四つの旧約の予型や封印された泉などのモチーフに次ぐものであり(注25)、『弁明』にあげられている動物モチーフより頻繁に描かれているのだが、すべての幼子図像が判を押したように同じ意味合いを持っていたわけではない。エアフルト大聖堂三連祭壇画〔図2〕の「幼子イエス」図像は、「受胎告知図に描かれたもの」というより、「聖母マリアの純潔と受肉の神秘を象徴したもの」である。中心となるのは聖母マリアとイエスを象徴する一角獣であり、それ以外のものは添え物に過ぎない。この祭壇画とほぼ同時期に制作されているワイマールの三連祭壇画〔図8〕も同じような傾向にある。ここでも一角獣を抱える聖母マリアが中央に配されていて、大天使は大きさこそ聖母とほぼ同じものの隅に追いやられ、他のモチーフと同様の受肉を示すもののひとつとして扱われている。しかし、後の「神秘の一角獣狩り」は次第に受胎告知の要素が強くなり、ガブリエルは聖母と同じ大きさで対面し、時には閉ざされた庭園の中に入り角笛を吹いている。幼子が十字架を持っていないこともまた、エアフルト作品の核となる主題が受胎告知ではないことを示す傍証となるだろう。十字架はキリストの磔刑を示す重要なモチーフであり、それを背負った幼子イエスは、キリストの受肉において磔刑が既に定められていたことを示す(注26)。初期キリスト教時代には3月25日が受胎告知の日とされ、祝祭が行われていたが、かつてこの日はキリストが人としての死を迎えた日であり、アダムに捧げる日でもあった(注27)。このように、受胎告知は贖罪のはじまりであり、それは磔刑によって成就するため、古くから受難とつながっていたことがわかる。例えば14世紀の象牙浮き彫り〔図9〕では、聖霊を送りだす父なる神のように、磔刑がガブリエルと聖母の頭上に配置されている。《聖母マリア祭壇画》(1463年、リンツ・アム・ライン、聖母マリア聖堂)では、開扉時の左パネルにすでに受胎告知が描かれているにもかかわらず、閉扉時には右翼の磔刑と並びもう一度この主題が繰りかえされており、受肉と受難の強い結びつきが感じられる(注28)。並置にとどまらず、説話的な受胎告知と受難を合体したものもある。ニコラウス・シュテュルホーファーの《受胎告知の祭壇画》〔図10〕では、十字架を背負った幼子ではなく、― 92 ―― 92 ―

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