磔刑に処されたキリストの姿そのものをガブリエルと聖母の間に挿入し、人類の救済のはじまりと成就を同一画面上に表現している。幼子に十字架を添えた図像は、14世紀の半ば頃から登場する。比較的早い作例としては、ネッツェの聖母マリア修道院聖堂にあるキリスト伝の祭壇画があげられる(注29)。ロレンツォ・ヴェネツィアーノの三連画(1371年、ヴェネツィア、アカデミア美術館)でも、同様の幼子が登場しており、このモチーフが14世紀後半には様々な地域に拡散している様子がわかるのだが、エアフルト大聖堂作例の幼子は何も持たずに聖母の元へと飛来している。すでに先行する作例のある十字架を伴った幼子図像が採用されなかった理由は、贖罪よりもキリストの受肉を強調するものとしてこの祭壇画が制作されたためではないだろうか。父なる神と聖霊の間に描かれる十字架を持った幼子図像は、聖三位一体とのつながりも指摘できる。考察対象とした25点の幼子を伴う「神秘の一角獣狩り」のうち、3つの位格がすべて描かれているものは19点確認できた。磔刑に処された子なるイエスを父なる神が背後から支えるという形式が、聖三位一体図の一般的な図像表現だが、『ロアンの時禱書』〔図11〕では、父なる神の喉元に裸体の幼子イエスが張りつき、子なるイエスが文字通り子どもとして描かれている(注30)。父なる神と聖霊と、その間に挟みこまれた幼子は、聖母に向かって一直線上に配され、受肉が3つの位格すべてと関わるものであることを示している。おわりに裸体の幼子図像は子なるイエスの受肉を可視化したものとして中世末期に発生したが、その影響を色濃く残すのがエアフルトの三連画である。受肉と強い結びつきのある一角獣狩りという主題にこのモチーフが加えられたのもそのためであろう。幼子図像は父と聖霊を伴う伝統的な受胎告知と混ざり、聖三位一体を表すようになる。幼子を3度登場させるボナグイダの作例は、このような図像のプロトタイプであるといえる。それとほぼ時を同じくして、贖罪は受肉から始まり磔刑によって成就するという、受難との関わりを強調するような受胎告知図が生まれ、幼子に十字架を持たせることになった。「神秘の一角獣狩り」にも受胎告知としての側面が色濃くなるにつれ、十字架を伴う幼子が描かれるようになったと思われる。今後の課題としては、受胎告知だけでなく、もっと範囲を広げて幼子イエスの図像表現を考察する必要があるだろう。例えば、ドイツではさらに神秘主義的な要素を強めるような幼子を伴った作例も登場する。「聖体の挽き臼(Hostienmühle)」と呼ばれ― 93 ―― 93 ―
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